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自信過剰のヒトラーと、猜疑心の塊・スターリンの最終決戦の勝者は・・・【リーダーのための読書論(59)】

【amazon 『ヒトラー対スターリン 悪の最終決戦』 カスタマーレビュー 2015年6月9日】 リーダーのための読書論(59)

ヒトラー対スターリン 悪の最終決戦』(中川右介著、ベスト新書)は、事実を淡々と積み重ねることで、歴史の真実を鮮やかに浮かび上がらせることに成功している。

著者によって、先ず、第二次世界大戦の全体像が的確に示される。「第二次世界大戦はその名の通り、世界各地で戦争があった。そのなかで日本が当事者として戦ったのは、中国大陸での日中戦争と、主としてアメリカとの戦闘になった太平洋戦争である。総動員体制で戦ったにもかかわらず、日本は敗北した。多くの国民の人命と財産とが失われ、相手国の犠牲者も含め、数百万の命が失われた。日本の現代史においては最大の出来事である。しかし、世界大戦全体のなかでは、日本の戦争はサイドストーリーだ。第二次世界大戦の主役はナチス・ドイツであり、この戦争は、最初から最後まで『ヒトラーの戦争』だった。単純化すれば、第二次世界大戦とは『ヒトラーがソ連(ロシア)を自分の領土としようと攻め入り、最初はうまくいきそうだったが、失敗した』という話となる。そのヒトラーの最大の相手はスターリンである」。

「ヒトラーとスターリンは、二人とも、戦争において二正面作戦を避けたがっていた。ヒトラーの真の狙いは東、つまり東欧諸国とさらに向こうのソ連だった。しかし、東へ攻めている間に西から(イギリスやフランスから)攻められるのを警戒したヒトラーは、先に西を叩くことにし、そのためにはソ連が攻めてこないようにと、独ソ不可侵条約を結ぶという複雑な思考をした。こうして背後から突かれないようにしたうえで西へ攻め、それがうまくいきかけたところで、ソ連に侵攻した。スターリンとしては、ヒトラーに騙されたことになる」。

「ヒトラーはとりあえずスターリンを騙すことには成功し、奇襲、すなわち騙し討ちでソ連領内へ攻め入り、首都モスクワを陥落寸前にまで追い詰めた。だが、ヒトラーの予想よりもソ連軍は手強く、東部戦線は膠着状態となる。西部戦線もけっして安泰ではなく、結局は二正面作戦をすることになり、恐れていた通り敗北した」。

「スターリンも二正面作戦を避けようとした。ドイツとの戦いが避けられないとみて、背後となる日本との間に不可侵条約を結んだのは、そのためである。そしてドイツが負けた後に、日本との戦争に踏み切り、北方領土を手に入れた。さらに中国や北朝鮮への影響力も持った」。

「結果として、ヒトラーが始めた戦争によって最も得をしたのはスターリンだった。ヒトラーがいったんは手に入れたものの多くは、戦後、スターリンのものになった。米英は、領土的にはほとんど得たものはないに等しい」。

本書の前半は、「この二人(ヒトラーとスターリン)はそれぞれの党内と国内での権力闘争には強かった。独特の閃きと人間洞察力、そして何よりも冷酷さと残忍さがあり、抗争に勝った」と、大胆に要約することができるだろう。「しかし、組織内での闘争に強いからと、対外的戦いにも強いとは限らない」のである。

サイドストーリーとは言え、我が日本もヒトラーやスターリンとの絡みで登場してくる。「(ソ連との戦いに備え、英米の対ドイツ連携の動きに対する)解決策のひとつとして、ヒトラーは日本との集団安全保障の構築を急ぎ、イタリアも巻き込んでの日独伊三国同盟が(1940年)9月27日に調印された」。

「スターリンは、日本にいるスパイ、ゾルゲから、日本は対米開戦へと向かっており、ソ連と戦うために北進する可能性はなくなったとの情報を得ると、極東に配備していた先鋭部隊をモスクワ防衛のために移動させた。まだ疲弊していない兵力が加わったことで、俄然、ソ連が(ドイツに対し)優勢に立つ」。

本書の後半では、ヒトラーとスターリンの息詰まるような駆け引き、激突が繰り広げられる。

著者のヒトラーとスターリンの比較・分析は白眉で、類書の追随を許さない。「スターリンとヒトラーは、互いに相手を『俺と同じくらい悪い奴だ』という意味で、認め合っている。一度も会ったことはないが、似たもの同士としての、奇妙な友情のようなものがあったであろう。だが、同時に『あいつほど油断のならない相手はいない』とも思っている。二人とも、独ソ不可侵条約は、時間稼ぎのつもりでいる。・・・ヒトラーの目標は東方へのドイツ民族の生存圏の拡大である。つまり、ヒトラーは単純に領土拡張という欲望を満たすために動いている。ヒトラーの野望の犠牲となるのは、最終的にはスターリンのはずだ。一方のスターリンには領土拡張の野心はなかった。ソ連共産党内の路線論争において、トロツキーらは『世界中で社会主義革命を起こすべきだ』と主張したが、スターリンはとりあえずソ連を工業化するのが先だという一国社会主義路線を唱えた。そのスターリンがバルト三国やフィンランドを勢力圏に置こうとしたのは、素晴らしい思想と制度である社会主義を広めるためでもなければ、その地域の農業や工業の生産物が欲しかったのでも、そこに住む人々を奴隷にして安価な労働力としたかったのでもない。やがて来るであろうドイツとの決戦に備えて、防衛戦略上、その土地を必要としただけだった」。「二人とも、自分以外を信じない点では同じだが、その理由は正反対だった。スターリンは猜疑心が強く、誰も信じない。ヒトラーは自信過剰で、誰も信じない。それゆえに、スターリンは慎重で用意周到になり、ヒトラーは大胆になる」。

「ヒトラーがポーランドを侵攻した時は、誰も世界大戦になるなど予想していなかった。しかし日本のアメリカへの宣戦布告と、それに連動してのドイツの宣戦布告にアメリカが応じたことで、誰も望んでいなかった世界大戦になってしまった。戦争を防ぐはずの『集団安全保障』という考えが、一国による一国に対する武力行使(ドイツのポーランド侵攻)を、世界大戦にまで発展させてしまったのだ」。日本の現状を考えるとき、この指摘は重要な意味を持つ。