榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

先住民ピダハンが伝道師を無神論者に変えてしまった理由・・・【続・リーダーのための読書論(18)】

【ほぼ日刊メディカルビジネス情報源 2012年8月28日号】 続・リーダーのための読書論(18)

ピダハンの驚くべき世界

軽い興味で読み始めた『ピダハン――「言語本能」を超える文化と世界観』(ダニエル・L・エヴェレット著、屋代通子訳、みすず書房)に、ぐいぐいと引き込まれてしまった。

ブラジルのアマゾンの奥地に暮らす400人を割る少数民族、ピダハンの居住地域にキリスト教(プロテスタント)の伝道目的で住み着いた献身的なアメリカ人伝道師兼言語学者の30年に及ぶ、驚異とユーモアに満ちた体験記、奮闘の記録である。

ピダハンの世界には、右・左の概念や、数の概念、色の名前がない。神も、創世神話も存在しない。当然のことながら、天国への期待や地獄への恐れを持つことなく、生と死に向き合っている。

キリスト教か無神論か

著者は、ピダハンに「無意味な生き方を止め、目的のある生き方を選ぶ機会を、死よりも命を選ぶ機会を、絶望と恐怖ではなく、喜びと信仰に満ちた人生を選ぶ機会を、地獄でなく天国を選ぶ機会を」提供すべく、さまざまな努力を重ねる。聖書は「抽象的で、直観的には信じることのできない死後の生や処女懐胎、天使、奇跡などなどを信仰することを称えている。ところが、直接体験と実証に重きを置くピダハンの価値観に照らすと、どれもがかなりいかがわしい。彼らが信じるのは、幻想や奇跡ではなく、環境の産物である精霊、ごく正常な範囲のさまざまな行為をする生き物たちだ。ピダハンには罪の観念はないし、人類やまして自分たちを『矯正』しなければならないという必要性も持ち合わせていない。おおよそ物事はあるがままに受け入れられる。死への恐怖もない。彼らが信じるのは自分自身だ」。

精神生活が非常に充実していて、類を見ないほど幸福で満ち足りた生活を送っているピダハンと暮らしを共にするうちに、伝道師の著者自身が、逆に無神論へと導かれてしまったのだ。何たる皮肉だろうか。

言語学への貢献

著者は、優れた言語学者でもある。先住民を感化する最良の道は、新約聖書を彼らの言葉に翻訳することだと信じ、難しいピダハン語習得に精を出す。この長年に亘るピダハン語の実証的研究が、結果的に、世界的に大きな影響力を持ち、著者の師でもあったノーム・チョムスキーやスティーヴン・ピンカーの正統派言語学に叛旗を翻し、これを揺るがすことになる経緯も興味深い。