榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

線虫が、がんの検査・診断・治療・予後を根本的に変えてしまう時代がやって来る・・・【MRのための読書論(169)】

【ミクスOnline 2020年1月22日号】 MRのための読書論(169)

線虫の嗅覚の発見者

がん検診は、線虫のしごと――精度は9割「生物診断」が命を救う』(広津崇亮著、光文社新書)は、そう遠くない未来に、線虫ががんの検査・診断・治療・予後を根本的に変えてしまうと、高らかに宣言している。線虫の驚くべき嗅覚を発見・証明した研究者・広津崇亮の手になるだけに、本書は圧倒的な説得力を有している。

線虫はがんの匂いが好き

「2013年7月。私は大学の研究室で、来る日も来る日も実験を行ない、小さな白い生物がシャーレの中央から端へと動いていく様子を見つめていました。小さな白い生物の正体は、『C. elegans(シー・エレガンス)』という名前の線虫。体長わずか1ミリ。目がないかわりに、鋭敏な嗅覚を持つこの線虫が、がん患者の尿には近寄っていき、健常者の尿からは遠ざかる――がんの匂いを嗅ぎ分けることができる――ということを、証明しようとしていたのです。シャーレの端に、がん患者の尿を1滴垂らし、中央に数十匹の線虫を置くと、30分ほどで線虫は尿の周りに集まります。逆に、健常者の尿を垂らすと、線虫は尿を避けるようにして離れていきます。幾度となく同様の実験を繰り返しましたが、ほぼ例外なく、線虫はがん患者の尿には近寄り、健常者の尿からは遠ざかるという結果が得られました(がんの種類、患者の性別、糖尿病などの病気の有無や、妊娠の有無には影響を受けないようでした)。これはあとでわかったことですが、驚いたことに、採尿時にはがんが判明しておらず、その後がんを発症した人の尿にも、線虫は引き寄せられていました。検査ではまだがんがあるとわからない、ごく初期のがんの匂いでも、線虫は嗅ぎ分けられるという可能性が示唆された瞬間でした。それまで約20年間にわたって線虫の研究を行なってきましたが、これほどの結果を目の当たりにしたことはありませんでした。がんの有無を、これほどまでに高精度に嗅ぎ分けるとは――。私は興奮し、そして確信したのです。『線虫が世界を変える』と」。

線虫ががん患者を救う

「線虫をがん検査に用いれば、たった尿1滴だけで、高精度に、しかも早期に、がんのリスクを判定できるようになる。すると早期治療が可能になり、がんで亡くなる人が減って、がんが怖い病気でなくなる。体長わずか1ミリの線虫が、がん検査だけでなく、がん治療や人々のがんに対する意識も変えていく――」。

「職場や自治体の健康診断では、尿を必ず採取しますから、その際に線虫がん検査も実施すれば、時間も手間も余分にかけることなく、がんのリスクがわかります。・・・線虫がん検査が実用化すれば、必要な人を、早期に、精密検査や治療へつなぐことができるのです。そうなれば、『がんだとわかったときには末期だった』というような、悲しく厳しい事態を防ぐことができます。早期にがんだとわかれば、手術も簡単に済むでしょうし、治療が易しくなるに違いありません。がんを告知されたあとの世界が、これまでのがん告知後の世界とは一変する。がん検査とがん治療の世界が変わるだけでなく、がんになった人の人生そのものが変わるのです」。

線虫がん検査の実力

シー・エレガンスを用いた線虫がん検査「N-NOSE(エヌ・ノーズ)」の実力を見てみよう。N-NOSEで検知できると判明しているがんは、現在18種。大腸がん、胃がん、肺がん、乳がん、子宮がん、膵臓がん、肝臓がん、前立腺がん、食道がん、卵巣がん、胆管がん、胆嚢がん、腎臓がん、膀胱がん、盲腸がんなどで、いずれかのがんがあると、高リスクの判定が出る。

N-NOSEは、ステージ0~1の早期がんであっても、9割近い確率で検知することができる。「がん検診にしばしば取り入れられている腫瘍マーカーは、基本的には進行したがんの治療効果を見るための検査であり、早期がんに対してはほとんど意味がありません。一例を挙げると、代表的な腫瘍マーカーの一つ『CEA(大腸がん、胃がん、肺がんなどを診る)』のがんを見つける確率は、ステージ0~1の場合、13.8%。それに対してN-NOSEは、87.0%でした。ステージ0~1のがんがあるものの、まだ判明していない人が100人いたら、14人しか見つけられない検査と、87人のがんを見つけられる検査とでは、大違いではないでしょうか」。

「また。胃や大腸の内視鏡、CT(コンピュータ断層撮影)、MRI(磁気共鳴画像)、超音波、PET-CT(陽電子放出断層撮影)などの画像検査は、がんがある程度の大きさになってからでないと見つけるのが困難な上に、人が目で見てがんの有無を判定するため、検査者の技能や状況に左右されます。・・・その点、線虫には技能の差がありません。N-NOSEに用いる線虫は雌雄同体であり、自家受精で生まれるため、遺伝子がすべて同じで、個体差がありません」。

「N-NOSE は、がんがない人を『がんがない』と判定する確率(特異度)が91.8%です。がんがある人を『がんがある』と判定する確率(感度)も84.5%と高いのですが、がんがない人を『がんがない』と判定する確率も非常に高いのです」。

治療も変わる

N-NOSEで変わるのは、検査だけではない。がん治療も大きく変わる。まず、手術の成否を測る判断材料にすることができる。手術後にN-NOSEを実施すれば、体内にがんが残っているかどうかがわかる。その上、手術の最中に、切り取った腫瘍の断端の組織をN-NOSEで検査することによって、がんをすべて取り切れたか否かが、その場で客観的に判断できる。手術後に、一定期間ごとに継続してN-NOSEを受ければ、取りこぼしたがん細胞が再び活動を始めたというようなケースも、ごく初期に見つけることができる。さらに、抗がん剤治療や放射線治療に関しても、変化が起こる。その治療によってがんが消えたか否かがN-NOSEを受けてわかれば、一定期間続けて効果がなければ別の抗がん剤に切り替えるといった判断が、客観的な評価に基づいてできるようになるからだ。「がん治療の場合、大事なことは『がんが残っているかいないか』です。N-NOSEを受ければそれがわかりますから、詐欺まがいのいかがわしい療法も、効果の有無がはっきりと目に見えるようになります」。

「N-NOSEが本格的に普及すれば、手術・抗がん剤・放射線が『三大知慮』であるという、がん治療の常識そのものが根底から変わるかもしれません。まず初めに起こるのは、開腹手術が減り、内視鏡手術が主流になるという変化でしょう。早期発見が可能になり、がんが小さいうちに見つかるため、内視鏡で対応できる位置にあるがんならば、手術は内視鏡で済むからです。・・・さらに、手術自体も減ると考えられます」。

線虫がん検査の未来

「線虫がん検査によって、がんのリスクだけでなく、リスクの高いがんの種類までわかる日が来ると考えています。線虫の嗅覚は、がん種による匂いの違いも嗅ぎ分けられる可能性を秘めているからです。2020年のN-NOSE実用化の段階には間に合いませんが、その2年後の2022年にはがん種の判定ができるようになることを目指して、現在研究を進めているところです」。簡便・高精度・安価・早期発見が可能・苦痛がない・全身網羅的といいことずくめのN-NOSEの未来は、誠に明るいのである。

さらに、著者はN-NOSE以外の生物診断の可能性にも言及している。がん以外の病気にも、その病気特有の匂いがあるからだ。「その病気を嗅ぎ分けるのが得意な線虫を作り出すなどの改良が考えられます。あるいは、線虫以外の生物を用いてもいいでしょう。・・・さらに言えば、匂いでなくてもいいのです。生物には嗅覚だけでなく、味覚や視覚などの五感がありますし、それらが非常に優れている生物も存在します。機械を上回るほどの能力を持っている生物は、この世にたくさんいるのです。さまざまな病気を、さまざまな生物が検査し、超早期発見する。そんな未来は、今より希望に満ちあふれていると思いませんか?」。

本書を読み終わって、がんに対する意識が一変してしまった私。