榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

無念の死を遂げた源義朝に成り代わり、劣勢対策を考える・・・【山椒読書論(47)】

【amazon 『河内源氏』 カスタマーレビュー 2012年6月30日】 山椒読書論(47)

河内源氏――頼朝を生んだ武士本流』(元木泰雄著、中公新書)を読んで、源氏というのは常に栄光の道を歩んできた武士のエリート一族だという私の思い込みが見事に覆された。

河内源氏の祖・源頼信は大江山の酒呑童子退治で有名な頼光の弟だし、義家(八幡太郎)は東北における前九年の役、後三年の役で武威を轟かせた名将であるし、頼朝は父の敵・平氏を破って史上初の武士政権を樹立した人物ということで、そう思い込んでいたのである。

ところが、この本によって、頼信・頼義親子が藤原摂関家のご機嫌取りに腐心するさま、頼義の息子・義家が当時の辺境である東北で勢力拡大に苦労する様子、義家の息子・義親と、義親の息子・為義の名門の御曹司でありながらの落第生ぶり、各代における兄弟間の嫡流争いなど、過酷な歴史的事実を知ることになる。

中でも、一番興味を惹かれたのは、為義の息子で頼朝・義経兄弟の父である義朝の壮絶な一生である。保元の乱で平清盛とともに後白河天皇方に立った義朝は勝利を収めるが、敵側の崇徳上皇方に立って戦った父・為義、弟・為朝(鎮西八郎)を自らの手で処刑せざるを得なくなる。そして、3年半後の平治の乱で清盛と戦い、敗れ去る。再起を期して落ち延びる途中、部下の裏切りによって、湯殿で謀殺されてしまう。享年37(満年齢)。

源氏の棟梁・義朝と、平氏の棟梁・清盛は、宿命のライヴァルであるが、義朝の劣勢は覆うべくもない。なぜならば、平氏は清盛の祖父・正盛、父・忠盛がともにかなりのやり手で、蓄えた豊かな財力を活用して、朝廷や藤原摂関家の覚えめでたく着々と地歩を固めてきたのに対し、源氏は、義朝の曾祖父・義家こそカリスマ的な武将であったものの、祖父・義親に至っては朝廷への反逆者として処刑されるという有様で、父・為義は世渡り下手なため、源氏は平氏の遥か下位に置かれていたからである。その上、為義が義朝の弟・義賢(義仲の父)をかわいがったため、義朝は為義と不仲だったのである。

平氏の三代に亘る実績の蓄積、一族の固い結束に比べ、蓄積も結束もない源氏の棟梁としての義朝の苦悩が、他人事とは思えないのである。これはかなり特殊な読み方であろうが、私は義朝になったつもりで、劣勢対策を練りながら、この書を読む羽目に陥ったのである。義朝の無念の最期に合掌。