榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

中学生の時に出会った座右の書・・・【山椒読書論(112)】

【amazon 『風の中の瞳』 カスタマーレビュー 2012年11月29日】 山椒読書論(112)

中学2年の誕生日に両親からプレゼントされた『風の中の瞳』(新田次郎著、講談社文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、それ以来、私の愛読書となり、現在も時々読み返している。

東京郊外の住宅地にある飛塚中学校の3年B組の生徒たちと担任の寺島先生との心の交流を描いた、いわゆる学園小説であるが、この本にどれだけ励まされてきたことだろう。

昭和30年代の中学生たちはそれぞれの悩みを抱えているものの、純朴で真面目である。そして、この寺島先生が実にいいのだ。受験や男女共学のことで悩む生徒一人ひとりに正面から向き合い、共に悩み、共に解決の糸口を探していくのである。

当時、この作品が多くの中学生読者の共感を呼んだのは、この小説に出てくる生徒のいずれかを、性格の似ている自分に置き換えて読んでいたのだと思う。私もまさしく、そういう一人であった。

例えば、「正月休みが終って、学校へ出てまもなく、高校入試模擬試験があった。3月の受験をま近にひかえての試験であるから、生徒たちは、ひどく緊張した顔で答案を書いた。成績が発表された。廊下にはり出された30名の名まえの中に、澄田千穂の名まえがなかった。『試験のころ、流感にかかっていたんだね。心配することはないよ、今までずっと成績がいいんだから・・・』。寺島先生は、青い顔をして職員室へはいってきた澄田千穂にいった。職員室は、午後の日がさしこんで明るい。・・・澄田千穂は、寺島先生になにもかも話した。日野敏男に、修学旅行のとき、席をゆずられたお礼も、蓼科山遭難のとき、せおってもらったお礼もいってないことの、心の重荷を訴えた。『なるほど。そういうことが気がかりになって、勉強に身がはいらないというのか。それだけのことなら・・・』。先生は、千穂の顔から目を机上におとした。窓からさしこむ日光が、先生の机に反射して、千穂の顔にあたる。まぶしい。『先生、わたし、不良でしょうかしら・・・』。千穂の声は低かったが、そのことばは、寺島先生を飛びあがらせるほど、強いことばに感じられた。『なぜ、不良だと思うんだね』。『わたし、日野くんが好きなんです』。いってしまって、千穂は顔があげられなくなった。『好きだということと不良とは、なんの関係もない。好きなら好きでいいじゃあないか。きみたちの年ごろには、だれだって、そういう気持は起るものだ。むしろ起らないのが不自然だ。日野くんを好きだと思っていることは、きみがすなおに成長した、健全な中学三年生だという証明以外のなにものでもない。きみがもっと成長していくにつれて、その気持もいっしょに成長していくかもしれない。あるいは、だんだん消えていくかもしれない。その気持は、そっと大事にしておくのだ』。寺島先生は、はっきりした口調でそういってから、さらにことばを続けた。『日野くんにお礼がいいたいなら、いつでもいえる。それにこだわらずにいると、機会はかならずやってくる。健康な中学生だということを意識して、胸を張ってまっすぐ歩くんだ」――といった具合である。

この本を手にした時は、著者の新田次郎のことはよく知らなかったが、これは彼にとって初めての子供向けの作品だったのである。