榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

狂歌の黄金期をプロデュースした大田南畝・・・【山椒読書論(462)】

【amazon 『大田南畝』 カスタマーレビュー 2014年7月6日】 山椒読書論(462)

「世の中にたえて女のなかりせば男の心のどけからまし」といった狂歌で知られる大田南畝(なんぽ。四方赤良<よものあから>、蜀山人<しょくさんじん>)が果たした江戸文化における役割を、『大田南畝――江戸に狂歌の花咲かす』(小林ふみ子著、岩波書店)で知ることができた。

江戸後期の狂歌師・南畝は「意識的に時間をかけて鍛えあげた言葉への感覚を生かし、楽しくて楽しくてしかたがないというほどの狂歌仲間を作りあげた。多くの追随者を生んだその達成は、人々に娯楽を与え、幸せな時間と空間を提供した。狂歌の大流行がどんなものだったのか、どこからその発想を得て、それを実現していったのか」が、著者によって明らかにされていく。

南畝の「もちろん傑出した言葉への鋭敏な感覚は天才的だけれど、同じ時代に生きた有名な作者たち、たとえば平賀源内や上田秋成のような、強烈に表現へと向かう思想や内面、個性――自我と呼んでいいような――をもった人間ではない。むしろ、もっとも近世の知識人らしい、常識的な人だった。書物を読み筆写することを愛し、自己の内面を表現するのではなく自己を措いて、書物に向きあった。重要な記録を抜き書きしたり、叢書を編んだり、筆まめに種々の記録を残したりして、近世日本を通じてもっとも多くの資料を残した人物の一人だ。一方で常識的に代々続いた家を守るために、晩年に至るまで幕臣としての職責をはたすことに苦労した人だった。そんな、当時のふつうの人が世の中にどう向かいあい、人びとを動かしていったのか」。

「南畝はこうして狂歌界の藤原定家として、人びとを巻きこんで狂歌という参加型文芸の楽しみを作りあげ、浮世の身分や職業とは異なる『狂歌師』になるという新しい遊び方を提供した」のである。

賑やかで楽しいことが好きな者なら、狂名(狂歌師としての名)を名乗るだけで誰でも狂歌師になれた。喧しくも愉快な狂歌師仲間たちの昂揚した連帯感が積極的に打ち出されていく。「『狂歌師』という独特の役どころ、キャラクターをこんなふうに確立したことが、狂歌を他の文事、趣味とは少し異なる位相にもちあげたのではないかと筆者はにらんでいる。俳諧でも、漢詩や和歌でも、書道や生け花や園芸などでも、なんでもいいが、それらの趣味を嗜んだところで、それでふだんの自分とは違った自分になったとまでは感じにくいのではないか。それぞれの趣味に応じて号という別の名前を名のっても、ちょっと風流な気がするくらいだろう。その点、おかしな狂名によってにぎやかで楽しい役どころになりきる『狂歌師』は、キャタクターが明確な分、それになりきることがむしろかんたんで、かつ、ひと味違う気分が味わえそうだ。なにせ狂名を名のるだけで仲間入りできる。これが流行の拡大の秘訣だったにちがいない」。著書の眼力は確かである。

四方赤良以外の面白い狂名のいくつかを挙げておこう。朱楽菅江(あけらかんこう)、元木網(もとのもくあみ)、智恵内子(ちえのないし)、宿屋飯盛(やどやのめしもり)、鹿都部真顔(しかつべのまがお)、頭光(つぶりひかる)など、いずれも洒落が利いている。

「天明狂歌」という狂歌史上の黄金期をプロデュースし、成功に導いた南畝は、狂歌の楽しさを皆に知らせ、皆とともに楽しみ、そして、多くの人々を巻き込む大きな力を備えた人物であったのだ。