榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

英国貴族の女性たちは、幸せだったのだろうか・・・【山椒読書論(498)】

【amazon 『英国貴族の令嬢』 カスタマーレビュー 2014年11月23日】 山椒読書論(498)

ふと手にした『図説 英国貴族の令嬢』(村上リコ著、河出書房新社・ふくろうの本)の最初のページに掲載されている3人の貴族令嬢の肖像画に目を奪われ、最後まで読み通してしまった。

この肖像画は、「ジョン・シンガー・サージェント『アーチソンの令嬢たち、アレクサンドラ、メアリー、そしてテオ』1902年。第4代ゴスフォード伯爵の娘にしてデヴォンシャー公爵夫人の孫娘たちで、おそらく結婚前のお披露目として描かれた肖像画」と説明されている。いずれも気品のある、凛とした美しさを放っている。

本書は、「100年ほど昔の英国、田園の大邸宅やロンドンのタウンハウスに暮らしていた貴族と地主の女性たちの生活をときあかしていきたい。少女は大人になり、社交界にデビューし、結婚し、あるいは未婚のまま年をとり、子どもを持ち、ときには浮気したりされたりし、夫との別離や死別を経験し、やがては『目付け役』として娘や姪たちを見張るのがお役目となる」という目的意識のもと、「英国貴族と継承制度」「令嬢の少女時代」「令嬢の社交界デビュー」「令嬢の『ロマンス』」「令嬢の結婚」「貴族夫人のつとめ」が、写真、絵、肖像画と文章で綴られていく。

「令嬢の社交界デビュー」の章に載せられた、新聞(TIMES)を片手に目を吊り上げて怒っている令嬢の風刺画が面白い。「王宮舞踏会の翌朝、どの新聞にも自分の名前が出ていない! まるで人生が終わったような気持ち。『パンチ』1889年6月8日」。

「地位や財産はなくとも、美しさを武器に社交界を泳ぎ渡る女性たちは、当時『プロフェッショナル・ビューティー』と呼ばれていた。『パンチ』1881年7月30日」というコメントが付された、扇を片手にした美女がターゲットの男性に話しかける様子を、眉を顰めて不愉快そうに見守る会場の男女たちの風刺画も興味深い。

「貴婦人のつとめ」の章の「『屋敷の女主人』の仕事」に、こういう一節がある。「人生のかなり早い段階で、わたしは大きなお屋敷を統べる立場というものが女主人(ミストレス)に課すものの大きさに戦慄したことを覚えている。最小限のプライバシーしか与えられないし、絶えず先回りしてものごとを考えねばならない。自分自身の満ち足りた人生と引き換えにすることを求められるのだ。わたしの知るお屋敷の女主人たちには、本当の意味で現在の時間を生きるという自由が欠けているように思われた――ただ過ぎ行く時間を楽しむという意味においては、彼女たちは、あまりにも未来の計画に心を奪われすぎている。実際、頭を占めるのは、家族、家内の使用人や借地人たちのこと。終わりのない村の仕事。手のかかる教区の政治、そして途切れることなく来訪しては去っていくお客様。彼女たちは、何もつとめがなく、本を読むとか、自分の趣味を追求するだけというような時間はほとんど持つことができなかった。(シンシア・アスキス『緑のベーズのドアの前で』ノエル・ストレトフィールド編『昨日より前の日』所収 1956年)」。貴族の女性たちは、経済的には豊かだったかもしれないが、幸せだったのだろうか。