榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

棚田の歴史を遡ると、幕末の「プロジェクトX」があった・・・【山椒読書論(506)】

【amazon 『棚田の歴史』 カスタマーレビュー 2014年12月27日】 山椒読書論(506)

私は棚田に惹かれる。棚田の景観の美しさだけでなく、恵まれない環境の中で頑張っている農家の苦労が偲ばれるからである。棚田の写真集はよく目にするが、棚田の歴史の本とは珍しいなと手に取ったのが、『棚田の歴史――通潤橋と白糸台地から』(吉村豊雄著、農山漁村文化協会)である。

全国の数ある棚田の中で、棚田の歴史を正確に辿れるのは、勢いのよい大量の放水で知られる通潤橋がある熊本県上益城郡山都町矢部だけだと著者は言う。本書は実証的な研究書といった趣があるので、万人向けとは言えないかもしれない。しかし、私にとっては懐かしさが一入である。製薬企業の三共に入社して最初の勤務地が熊本で、この矢部も5年半に亘り担当した思い出深い地区だからである。

「熊本市からバスで東南東へ約1時間半、矢部地方の中心、浜町に着く。山間の町、浜町は標高450mに位置している。浜町の街筋を少し歩き、横道に入ると、突如、通潤橋の威容がとび込んでくる。そして通潤橋のすぐ後ろには、めざす白糸台地がどっしりと横たわっている。矢部の町は山都町と名を変えている」。

「通潤橋・通潤用水は、約6km離れた笹原川の水を、長距離の井手筋(水路)と巨大な水路橋をもって白糸台地の村々に供給した遠隔通水施設である。通潤橋はわが国最大の水路橋であるが、単なる水路橋ではない。橋高20m程度を技術限度とする石橋(目鑑橋)をもって、五老ヶ滝川の峡谷を越え、比高30m近い白糸台地の峰々への水の供給を可能にした水路橋である」。

「堰から水路をゆっくり流れて来た水が、分水施設のなかで勢いよく盛り上がっている。最初、何か機械でも使って水を盛り上げているのかと疑ったくらいである。流水の体積力を思い知った。まして水路の両側で水に勾配をつけ、流れ下る水の体積力で向こう側の高台に水を揚げる吹揚樋の水勢の負荷たるや想像以上のものとなる。石橋の上に敷設する吹揚樋の水路をどのように作るか、(惣庄屋)布田(保之助)らの未知なる水圧との格闘が始まる」。

「通潤橋・通潤用水事業は、水田造成をめざす台地の村々の強い要請を受けて計画され、手水という広域自治体の主導的な取組みによって技術的壁を超える。すなわち、矢部会所における先行事業の研究、技術開発の努力が峡谷を越え、石橋よりはるか高台の台地の村々に大量の水を移すという着想の飛躍と、猛烈な水圧に耐える水路を石橋(目鑑橋)の上に据えるという『先蹤』なき水利・土木技術を創出し、最終的に役所からの巨額融資を取りつけるにいたる。・・・(『鬼工のごとき』と称された難工事を経て)幕末の山間台地に、巨大水路橋をともなった水利灌漑施設が完成したのである」。

通潤用水によって山間台地の水田開発、棚田造成が進み、水田面積が急増したのである。これは、まさに幕末の「プロジェクトX」なのだ。