榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

同時代人が見た大久保利通、西郷隆盛・・・【情熱的読書人間のないしょ話(49)】

【amazon 『明治維新 三大政治家』 カスタマーレビュー 2015年4月1日】 情熱的読書人間のないしょ話(49)

図書館からの帰りに、満開のソメイヨシノに誘われ、次から次へと何十か所も辿っていったところ、いつの間にか道に迷ってしまいました。ぽかぽか陽気の中をさまよう桜追い人になり切っていたためですが、このような時間の過ごし方ができるのも、企業人生活を卒業した余禄かもしれません。因みに、この日の歩数は16,298でした。

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閑話休題、明治維新期の人物としては、西郷隆盛に比べ人気のない大久保利通のほうが、天の邪鬼の私にはしっくりきます。私は、西郷は徳川幕府をぶっ壊した張本人、大久保は明治という新生国家を立ち上げた中心人物と考えています。

明治維新 三大政治家――大久保・岩倉・伊藤論』(池辺三山著、滝田樗陰編、中公文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)の著者・池辺三山(さんざん)は、西郷や大久保たちの子供の世代に当たりますので、本書には、彼らについての興味深い話が詰まっています。余談ながら、池辺は朝日新聞の主筆を務めた、日本のジャーナリストの先駆けともいうべき人物ですが、夏目漱石に朝日新聞入社を決断させた功労者でもあります。

「大久保という人は徹頭徹尾政治家である、一大政治家である。・・・あの維新の変乱に際して最も多く力を振うたもの、また維新の原動力として働いたものは言うまでもなく兵力である。それが一つのレボリュウションを仕遂げたのだ。・・・つまるところ暴力である、兵力である。もちろんこれでなくてはレボリュウションは出来ぬ。結局その暴力兵力の代表者として西郷はあんなに大きくなった。そのころの何人でもこの力を度外視するわけには行かぬ。・・・驚くべきことは、大久保という人は、若いうちから政治の上に心を用いておったこと、力を用いておったことだ。若いうちからことごとく実行だ。無論20代からだ。御維新の時は確か37か8であったでしょうが、それより10年も、もそっと前から政治上の運動をやり出した。その相棒は西郷であった。西郷は徹頭徹尾軍人だが、決してただの軍人ではない、時としては大久保も及ばぬ一種の政治家だ。その西郷と同町内に生れて竹馬の友である。子供のうちから議論もしたろうし、喧嘩もしたろうし、また一緒に飲み食いもし、泣きもし笑いもしたに違いない」。

「(彼らの敬愛する君主・島津斉彬の突然の死に、西郷は)非常に落胆している。ところで、早速にここで大久保の特性が現われていることがある。大久保は失望していない。失望はもちろんしたろうがガッカリしていない。これがあの人の一生を通じての著しい特徴だ。いくらグリハマになっても、そのためにガッカリして頓挫するようなことがない。もうどんなことがあっても、何とか盛り返して来て、その時分に最善と思わるる手段をもって、着々事実の上にそれを仕遂げて行く」。

「仮りに文久の初年から大久保が政治家を始めたとすれば、明治11年に死ぬまで前後18年の間、傍目をふらずやり続けた。それがいつもいつも実行ばかり。勢いを得ていると得ておらぬとを問わない。どんな変化に出会っても、どんな困難の場合にも、その時に最善と信ずる手段をもって必ず実行している。・・・その時分の交友とか藩公とかの説で、最善と思うものを深思熟慮の上でこれを執って、従って堅くそれを守るという、執着力の強い性質である。・・・政治家以上で、帝王流だ」。

「西郷という人はなかなかエライ。滅法界勇気の強い人だ。ほとんど天成の大勇だ。知恵もあったし、また行き届いて情に篤い人であって、仁愛というような要素もよほど備わった人だ。しかしその根本は勇気というものが際立って働いたように見える人だ。・・・軍人一点張り、勇気一点張りの男でない。雄材大略、天下の重きを一身に荷うだけの資格が十分ある」。

「中央集権ということは大久保の頭を離れない大問題だ。それもそのはずで、いかに維新といっても王政復古といっても、また藩籍は奉還したといっても、諸侯はまだそのままソックリ藩知事で依然としている。中央はどうも薄弱である」。

「(三条実美の大病を受けて)大久保はすぐに手を出して、三条内閣即ち西郷内閣を覆して、岩倉内閣即ち大久保内閣を造った。その迅速さがまた目にも留らぬ。実に際鋭い。どんな場合にもその性を失わないで、自分でその機にまた政権の中心点を造り立てる。これが大久保の特性で特色でしょう」。

「私どもも明治10年前後に、大久保は奸物だ、岩倉は大奸物だなどと、子供ながら聞いて覚えてます」。

大久保利通論の最後の「大久保以後、日本には大久保なしだ。帝国は大きくなったが、人物は小さくなってる」という著者の言葉は、残念ながら、現在の日本の政界にも当てはまるのではないでしょうか。