榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

平安時代から現代までの日本人の読書史、そして、これからの読書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(618)】

【amazon 『読書と日本人』 カスタマーレビュー 2016年12月20日】 情熱的読書人間のないしょ話(618)

美しい朝焼けを見ると、今日一日、いいことがありそうな気がします。東京・池袋の立教大学の門を入ると、高さ25mほどのヒマラヤスギが2本、聳えています。今の季節はクリスマス・ツリーの役割を務めています。チャペルは落ち着いた雰囲気で満たされています。夕焼けと宵の明星(金星)を1枚の写真に収めました。因みに、本日の歩数は16,290でした。

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閑話休題、『読書と日本人』(津野海太郎著、岩波新書)には、『源氏物語』を夢中で読み耽った平安時代の少女から現代の私たちまで、日本人の読書史がテンポよくまとめられています。

「かつては<かたい本>がケタはずれに大きな権威をもち、マンガや大衆小説や映画やジャズや流行歌やファッションなどをあつかう<やわらかい本>は、そのはるかに下にあるものと見なされていた。でも、そうした差別感は(19)60年代以降しだいに薄れ、やがて<かたい本>中心の新聞書評でも、<やわらかい本>が本としての正当な評価をうけるようになった。・・・と思ったら、90年代になると、こんどはその<やわらかい本>が市場の中心にどかんと居すわり、<かたい本>はその片隅に押しやられてしまったのです。――有料も無料も、<かたい本>も<やわらかい本>もひっくるめて、多様な本の共存だけが私たちの自由な読書を保証してくれる。それが<20世紀読書>の基本にあった確信だったとすれば、<かたい本>による専制も<やわらかい本>による市場独占も、その基本をつき崩してしまう点ではおなじ。基本が崩されて市場や図書館の性格が変われば読書の質も変わらざるをえない」。

現代の<紙の本>と<電子の本>について、著者はこのように述べています。「本というメディアが歴史上はじめて<紙の本>と<電子の本>というふたつの方向に分岐しようとしている。私たちがふつう『読書』と呼んでいる行為は、当分のあいだ、そのふたつの方向の前者、つまり<紙の本>が担っていくことになるだろう」。

<電子の本>の小さいながらも「これは!」と思わされるような試みとして、「青空文庫」が挙げられています。「著者の死後50年たって著作権が消滅した作品(おもに文学)をボランティアの手で電子化し、綿密な校正をへて、無料でダウンロードできるようにした日本で最初の私設電子公共図書館――それが『碧空文庫』です」。私は<紙の本>派ですが、必要に応じ活用している「青空文庫」は、大変重宝しています。