榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

近・現代の作家28人の俳句、そして酒と酒場・・・【情熱的読書人間のないしょ話(868)】

【amazon 『美酒と黄昏』 カスタマーレビュー 2017年9月2日】 情熱的読書人間のないしょ話(868)

川に沿った叢で、トノサマバッタ、ショウリョウバッタの緑色型、褐色型、オンブバッタの緑色型、淡褐色型などいろいろなバッタやその幼虫に出会いました。エンマコオロギの雌も現れました。秋の訪れもそう遠くはないようです。

閑話休題、『美酒と黄昏』(小玉武著、幻戯書房)は、近・現代作家28人の俳句と酒・酒場を巡るエッセイ集です。

「夏盛り――松本清張の句嚢」は、このように綴られています。「この作家が持つ社会性のある主題とともに、文体の独特の吸引力は大きな魅力である。一例として挙げるとこんな文章である(わたしの好きな、夜のさびれた盛り場の描写なので、このくだりをしばしば引用している)。<国電蒲田駅の近くの横丁だった。間口の狭いトリスバーが一軒、窓に灯を映していた。十一時過ぎの鎌田駅界隈は、普通の商店がほとんど戸を入れ、スズラン灯だけが残っている>(『砂の器』)」。

「燐寸の火――西東三鬼の神戸」は、「夜の湖ああ白い手に燐寸(マッチ)の火(西東三鬼)」という句から始まっています。「作家の五木寛之は、三鬼に早くから一目おいており、大陸的な大らかで、音楽で言えば長調的な性格の持ち主でありながら、ドストエフスキーのように複雑で屈折のある文人だったと評している。明るく伸びやかでありながら、政治的な志向を持ち、放蕩無頼で、女好き酒好きで、虚無的なところがあったと言うのである。そして、あの有名な一句を挙げている。<おそるべき君等の乳房夏来る>」。私は、夏が来ると必ず、この三鬼の刺激的な句を思い出します。

「黄菊白菊――夏目漱石の海鼠の句」では、漱石の俳句が高く評価されています。「近代俳句への革新を正岡子規とともにすすめた俳人・夏目漱石の俳句は、兄事した子規の作風よりも奔放で現代風のおもしろさがある。そして俗になることをおそれない。<長けれど何の糸瓜(へちま)とさがりけり>(漱石)。この句にしても、わび・さびを超えている。日常茶飯を俗のままに詠んでいるからだろう。子規の写生句よりもわたしにはおもしろく感じられる」。全く同感です。

「晩年の漱石に絶唱とも言える名句がある。これは滑稽とも、諧謔とも無縁である。ほんとうの心からの叫びを句に託し、吐露している。絶唱と言うのだろう。<床の中で楠緒子(なおこ)さんの為に手向けの句を作る 二句 棺(ひつぎ)には菊抛(な)げ入れよあらんほど あるほどの菊抛げ入れよ棺(かん)の中>。二行の前書きの「楠緒子」とは、親友の美学者・大塚保治の妻。竹柏園の歌人で、小説や長詩を書く才媛だったという。この時36歳。夭折だった。漱石は修善寺の大患後、一命を得て、東京に帰った時期で、まだ、胃腸病院に入院中だった。二つの句ともに込められてある中七の『菊抛げ入れよ』が、強い。病中に、漱石が密かに心惹かれていたであろうと思われる『楠緒子』に弔句を捧げた」。私は「大塚楠緒子=漱石の恋人説」を支持しているので、感慨深いものがあります。

「勧酒――井伏鱒二の荻窪」には、弟子の太宰治が登場します。「太宰はこんな文章を書いていた。<唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩(井伏)はこれを『サヨナラ』ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きてゐるといつても過言ではあるまい>」。

「杉並の井伏邸によく通っている先輩の編集者から、そのかなり以前から、『井伏先生は、酒を飲む時はウイスキーと決めておられるよ』と聞いていた。だから、じっさいに井伏さんが、小林(秀雄)さんに向かって、『ウイスキーはいいよ、ものを書く人間にはね。あなたも変えたら・・・』と、ウイスキーをしきりに勧めるのを聞いて、知っていながら驚いた。文字通り、『勧酒』であった。井伏さんは、小林さんより4歳年上である。わたしはその時、陪席していたのだが、小林さんが、『そうか、わたしも年だから、これからはウイスキーにするかナ』といったひと言が、今もはっきり耳に残っている」。

ウィスキーが飲みたくなるような随筆揃いです。