榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

33歳の娘がALSの母を12年間、在宅介護して分かったこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(910)】

【amazon 『逝かない身体』 カスタマーレビュー 2017年10月11日】 情熱的読書人間のないしょ話(910)

今朝は霧が濃いわよという女房の声を聞き、慌てて、千葉県北西部を流れる利根運河に駆けつけました。長年、霧の運河をカメラに収めたいと念じてきたからです。何やら運河が騒がしいので下りていったところ、コサギ同士で喧嘩しているではありませんか。どうも雌を巡っての争いのようです。近くのダイサギはコサギのいざこざなど知らんぷりです。落花したキンモクセイが橙色の絨毯のようです。因みに、本日の歩数は10,998でした。

閑話休題、『逝かない身体――ALS的日常を生きる』(川口有美子著、医学書院)には、意外なことが書かれています。「(ALS<筋萎縮性側索硬化症>の患者たちが)まるで乾いた土に落ちた種が降雨を待ち望んでいるように、ALSという苛酷な環境にも耐えていられるのは、幸せな夢を見ているからだ。身体は湿った綿のように重たくても、そんな彼らの心は羽根のように軽やかなのである。・・・そのようにして、ALSの人生にあっても、内面がますます幸福と希望で満たされていく人たちが大勢いる。そんな人たちと暮らす私たちもまた、重症患者によって祝福され見守られている日々を意識せずにはいられないのである」。

「若い夫婦にとって、(33歳の)妻の母親の闘病はリトマス紙にもなった。それから13年のあいだに二人の人生観のズレは鮮明になり、それぞれが自分の人生を歩み出すことになるのだ」。

「タイミングよい情報提供によって、拒んでいた呼吸療法に踏み出す患者もいるが、支援が間に合わず、家族が迷っているうちに呼吸不全で死なれてしまったこともある。・・・同じALSの家族でも、患者が呼吸器をつけるかつけないかによって、その後の人生は大きく違ってしまう。これらの人々がどちらも自分の選択は間違ってはいなかったと主張しあうあいだは、心底から理解しあうことは難しいのかもしれない」。

「1995年12月に救急入院し、気管切開も経管栄養の胃ろうの手術もうまくいき、そのまま続けて人工呼吸器を使い出したので、翌96年2月上旬には母は自宅に戻ってくることができた。しかし在宅での人工呼吸器は、大げさではなく休憩がまったくとれない連続した介護を私たちに要求した。それは予想をはるかに超えた労働であった」。

「母は透明文字盤を目で追いながら、『先生にお任せします。最後は先生が決めてください』とだけ言った」。

「ALSが繰り出す障害に私たちは少しずつ慣れていったが、ひとつ慣れたと思えばまたひとつ、母の身体の別の部分が動かなくなっていく。母はいつも新たな難問を私たちのために用意してくれた」。

「発症から3年経過してそろそろ自力で瞼を開けづらくなってきた時点で、目を閉じたままにするのか、それとも開けたままにするのかを、私たちは本人を交えて話し合った」。母は、日中もずっと目を閉じたままにしておくほうを選びます。

「母は瞼だけではなく、口元の形――開けておくか閉めておくか――も。完全に動かなくなる前に決定しないわけにはいかなかった」。母は、一日中、口を閉めておくほうを選択します。

「2000年が近づくにつれ、母はだんだん過酷な病状になってきた。文字盤を使っても一日に読み取れるのはわずか数文字」。

「1999年暮れ。呼吸器をつけてから4年後のことである。母の進行は新幹線並みに早く、高元先生が予想したとおり、意思が伝えられない状態になってしまった」。「脳は人間の臓器のなかでもっとも重要で特別な臓器と思われているが、母は脳だけでなく心臓も胃腸も肝臓も膀胱も同じように萎縮させ、あらゆる動性を停滞させて植物化しようとしている」。

「私の母は全身がぴたりと止まり、意思も伝えられないTLS(完全な閉じ込め状態)という状況で8年以上も生きていた」。

著者は、2004年から大学院でALSに関する研究を進める傍ら、その前年に介護派遣事業所を仲間と立ち上げ、都内のALS患者家族にヘルパーを派遣して、収入を得ることができるようになります。

ALSの介護問題を考えるとき、見逃すことのできない一冊です。