榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

建礼門院徳子は、薄幸の中宮ではなく、身持ちの悪い女だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(925)】

【amazon 『恋と女の日本文学』 カスタマーレビュー 2017年10月29日】 情熱的読書人間のないしょ話(925)

いよいよ、ハロウィーンが近づいてきました。

閑話休題、『恋と女の日本文学』(丸谷才一著、講談社文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)所収の『女の救はれ』には、がっかりさせられました。と言っても、女人往生・女人成仏を論じたこの著作にがっかりしたわけではなく、その重要な事例として登場する建礼門院徳子にがっかりしたのです。

「建礼門院徳子(のりこ)のことは誰でも知つてゐます。平清盛の娘で高倉天皇の中宮。安徳天皇の生母である」。

「建礼門院は、われわれが漠然といだいてゐた薄幸の后妃といふ印象とはまるで違ふ感じになる。そんなロマンチックな綺麗事ではすまない、汚辱にまみれた世俗の女に変る。それは単に敵の大将(=源義経)と契りをかはしただけではなく、長い船旅のつれづれをまぎらすために実の兄二人(=平宗盛、平知盛)と通じ、やがて仏門に入つてからは舅(=後白河法皇)に望まれて共寝した女であつた。もちろん実際にさういふことをしたかどうか、確證はつひにない。金棒引きにすぎないと言ひ返すことはできるし、事実その種の弁護論は京でも鎌倉でも、いや、津々浦々で、しきりに試みられたことだらう。しかしそれにもかかはらず妖言は言ひふらされ、浪説は風に乗つて伝はつた。そしてこれを冤聞としてしりぞける人々でさへも、彼女が実の子との心中に死に遅れておめおめと生きながらへた母であることは、否定するすべがなかつた。この、頑是ない息子との約束に背いた母親といふやりきれない局面は、彼女が身持ちの悪い女だといふ判断を強める方向にかなり役立つたやうな気がする。かうしてわれわれの倫理史は、天子の后でありながら罪深い女人、国王の母にしてしかも家庭の醜悪と恥辱にまみれた者といふ、まことに柄の大きい神話的な人物像を得ることになりました」。

私は、これまで、このような建礼門院をくさす文章に接するたびに、下世話な興味本位の戯言と斥けてきました。ところが、この丸谷才一の指摘は、徳子に対して厳し過ぎるという印象を抱かせるものの、説得力があります。他ならぬ丸谷の言うことですから、徳子はやはりそういう女性だったのかという気持ちにさせられてしまったのです。