榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

日本の探偵小説を作り上げた江戸川乱歩と横溝正史の友情・・・【情熱的読書人間のないしょ話(959)】

【amazon 『江戸川乱歩と横溝正史』 カスタマーレビュー 2017年12月6日】 情熱的読書人間のないしょ話(959)

どういうわけか、私は夕暮れに心惹かれます。散策中、紅葉したハゼノキを見つけました。因みに、本日の歩数は10,992でした。

閑話休題、『江戸川乱歩と横溝正史』(中川右介著、集英社)によって、3つの謎が解けました。

謎解きの第1は、江戸川乱歩と横溝正史との不思議な関係が明らかになったことです。

「二人(乱歩と横溝)はほぼ同時期にデビューし、最初の20年は江戸川乱歩が人気作家として不動の地位を得て、戦争中の5年は二人とも探偵小説は書けず、次の20年は二人がともに人気作家となり、次の10年は亡くなった乱歩の作品は読まれていたが横溝は忘れられ、最後の5年に横溝は空前の大ブームとなった」。

「二人は探偵小説の同好の士として出会い、生涯、その関係は変わらなかった。面白い探偵小説を見つけては互いに紹介していた。そして互いの作品を褒めあった。ときに疎遠となったり、諍いもあったが、友情は変わらなかった。横溝正史は戦前に編集者として乱歩を支えていた時期がある。江戸川乱歩は戦後、編集者となり横溝正史が最高傑作を書くのをサポートした。二人は互いに相手に読ませようと思って探偵小説を書いていたのではないか――という仮説を唱えたくなるくらい、濃密な関係がある」。

「江戸川乱歩と横溝正史――二人を太陽と月に喩えることができるかもしれない。乱歩が旺盛に書いている間、横溝は書かない。横溝が旺盛に書いていると、乱歩は沈黙する。天に太陽と月の両方が見える時間が短いのと同様に、二人がともに旺盛に探偵小説を書いている時期は、ごくごく短いのだ」。

「この編集者(横溝)なくして、江戸川乱歩の傑作は誕生しなかった。『新青年』編集者となった横溝正史は、江戸川乱歩に名作『パノラマ島綺譚』と『陰獣』を書かせ、見事な産婆役となった。乱歩は『新青年』には本格探偵小説を書き、他の雑誌や新聞には通俗長篇を書くという棲み分けをして、流行作家への階段をすさまじいスピードで駆け上がっていく」。

「乱歩は『日の出』から(原稿)依頼がくると最初は断った。だが、4回、5回と、何度断っても熱心にやってくる。十数回目の訪問となったとき、乱歩は編集者に『君たちの熱意は分かった』と言い、『書いてもいいが、療養中の横澪の本を新潮社から出してやってくれないか』と交換条件を提示した。・・・『もうひとつお願いがある。君の方から横溝のところへ交渉に行く時、僕のことなどは絶対に伏せておいてもらいたい』と頼んだ」。

「一篇の小説がその作家の人生を変えることは、よくある。一冊のベストセラーが出版社を成長させることも時にはある。だが、ひとつの小説がそのジャンルを変質させ、新たな歴史を聞き拓くことはめったにない。横溝正史の『本陣殺人事件』は、横溝の人生を変え、掲載誌『宝石』の売れ行きも左右し、そして日本探偵小説の歴史をも変える、奇跡的作品となる」。

「横溝の妻・孝子は、没後の座談会で、横溝が乱歩をどう思っていたかという話題のなかでこう語っている。『あれは、<獄門島>を書いている時分でしたかね。<負けるもんか。負けるもんか>とよく言ってましたよ。髭を剃りながらでも顔を洗いながらでも、ご不浄いきながらでもね。しょっちゅう乱歩さん、乱歩さんでしたね』。乱歩はこの時期、横溝を脅かすような小説は書いているわけではない。この『負けるもんか』は、乱歩の(横溝作品に対する)批評に負けるものか、という思いだったろう』。

「横溝の新連載のタイトルが『犬神家の一族』と知った乱歩は、『君、こんど<犬神家の一族>というのを書くだろう。ぼく犬神だの蛇神だの大嫌いだ』と言った。タイトルからして、犬神の祟り伝説などが出てくると思ったのだろう。・・・二人の作品は、タイトルを含めて『幻想と怪奇』のイメージが強いが、実は純粋なファンタジー、ホラーは少ない。二人とも、謎を論理で解決する探偵小説を何よりも愛したのだ」。

謎解きの第2は、探偵小説作家と探偵小説を巡る出版業界の興亡の要因が、実証的に突き止められていることです。この興亡史の中に、著者・中川右介の祖父の出版界における軌跡がちゃっかり紛れ込ませてあるのですが、その手際のよさを見ると、中川には推理小説を書く才能も備わっているように思われました。

謎解きの第3は、日本の探偵小説から推理小説への転換点が鮮やかに剔抉されていることです。

「1954年、昭和でいえば29年、つまり昭和20年代最後の年は、乱歩の還暦祝賀をクライマックスとした年だった。戦前からの作家仲間も、戦後に登場した新世代も、誰もが乱歩を敬愛し慕っていた。本格派、文学派と派閥があるかのように言われていたが、その一方の領袖である木々高太郎が先頭に立って祝っている。疎遠になったと噂されている横溝正史もやってきた。誰もが、これからも乱歩が中心であり頂点であり、乱歩が先頭に立って探偵小説を牽引していくと信じていた。その会場にはいない、デビューしたばかりの作家が、次の時代を担うことになろうとは本人も含めて誰も想像していない。その新人作家は4年前の1950年に懸賞小説でデビューし、53年に芥川賞を受賞し、暮らしていた九州から東京へ出てきたところだった。まだ作家専業ではなく、新聞社に勤務しながら短篇小説を次次と書き、そのなかには犯罪を扱ったものもあるが、まだ探偵小説は書いていない。松本清張である」。

乱歩は横溝より8歳年上で、清張は乱歩より15歳、横溝より7歳年下です。

「乱歩が(『宝石』の)責任を持つようになって8号目の1958年3月号、『零の焦点』の連載が始まったのだ。後に『ゼロの焦点』と改題される作品だ。松本清張の探偵小説のメインストリームへの登場だった」。

「(神吉晴夫が)回想録『カッパ兵法』にこう書いている。『なにより私を感動させたのは、この小説(<点と線>)が単なる謎ときゲームではなく、人間を描いているということだった』」。

「乱歩は(1963年)8月まで(日本推理作家協会の)理事長を務めたが退任し、2代目には松本清張が就任し、71年まで務める。乱歩は後任は横溝にと考えたらしいが、社交的なことが嫌いな横溝は断った。探偵小説から推理小説へ、乱歩から清張へ――時代は鮮やかに変わった」。

一冊の中で、これだけの謎解きが見事になされていることから、本書は一種の推理小説と呼んでもいいような気がしてきました。