榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

コロンブスのアメリカ大陸到達後の「コロンブス交換」が世界を変えた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1028)】

【榎戸誠の情熱的読書のすすめ 2018年2月15日号】 情熱的読書人間のないしょ話(1028)

今日は、バード・ウォッチャー榎戸にとって、夢のような一日でした。第1は、長年の念願であった、ジッジッと地鳴きするウグイスたちの撮影に成功したことです。東京の井の頭公園の「かいぼり」で池の水が抜かれ、干された状態になっていることが幸いしたのです。近くを飛び回っているメジロの鮮やかな黄緑色とは異なり、ウグイスは地味な色合いです。第2は、初めて目にしたルリビタキの雌をカメラに収めることができたことです。第3は、私の好きなキセキレイに出会えたことです。ハクセキレイと比べると、黄色さが目立ちます。因みに、本日の歩数は14,992でした。

閑話休題、『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』(チャールズ・C・マン著、布施由紀子訳、紀伊國屋書店)は、いわゆる「コロンブス交換」がいかに世界を変えたかの調査報告書です。

1492年のクリストファー・コロンブスのアメリカ大陸到達後、アメリカ大陸とユーラシア大陸、アフリカ大陸の間で、農作物、動物、昆虫、病原菌、鉱物、そして人間が行き交い始め、本格的なグローバリゼーションが進行していきました。

700ページある本書では、大陸間のさまざまな交換について詳細に記されていますが、私が注目したのは、「人の交換」、すなわち奴隷貿易です。

「(アメリカ大陸の)入植者たちは労働力不足を解決する新たな道をさがすことになった。ヨーロッパの奉公人やインディアン奴隷よりも病に強い労働力を」。

「彼らは労働者をほしがった――それもすぐに。サトウキビを刈り取り、汁を搾り、煮詰めて結晶化させ、それを出荷するための人手がほしかったのだ。一部の入植者が、明確な考えを持たないままに致命的な決断をした。奴隷を買ったのである」。

「アメリカ大陸の植民地はどこも奴隷を保有していたのである。しかしコロンブス交換によってエンデミックの熱帯熱マラリアがもたらされた植民地のほうが、より多くの奴隷を持つ結果となった。熱帯熱マラリアが蔓延したヴァージニアとブラジルは、感染を免れたマサチューセッツやアルゼンチンとはまったく異なる奴隷社会になったのだ」。

「ヨーロッパ人はこの地域(アフリカ)にやってくると、難なく既存の奴隷取引に参加できた。すでに人間を出荷していたアフリカの政府や商人は、生産を増やして外国人の需要を満たすことができたのだ。ときには、政府が奴隷を獲得するために刑罰を増やすケースもあった。・・・取引の拡大にとっては、ヨーロッパ側の需要だけではなく、アフリカ側の需要も重要だった。・・・アシャンティ王国は、奴隷と交換に銃と火薬を手に入れるという巧妙な戦略により、地域の最強国になっていた。奴隷制の広まりがアシャンティ王国の軍備増強を煽ったことが、『1720年代、オランダによる奴隷輸出が増大したことと大きく関係している』とハームズは指摘する。アフリカ商人は、アフリカ人の軍隊、強盗、海賊から奴隷を買い、アフリカ人に金を払って、彼らをアフリカ人が運営する集積所へ運ばせた。契約が成立すると、アフリカ人たちが奴隷を船に乗せた。その船の乗組員にも、かなり多くのアフリカ人がいた。航海に必要な食べ物や縄、水、材木を奴隷船のために用意したのもアフリカ人だった。当然、ヨーロッパ人も彼らなりの役割を演じた。彼らは基本的な経済関係の需要側、つまり顧客だった」。

「アメリカ大陸の奴隷制の規模は、長いあいだ完全には把握されてこなかった。・・・アトランタにあるエモリー大学のデイヴィッド・エルティスとマーティン・ハルバートがすばらしいプロジェクトを立ちあげた。この取り組みでは、十数カ国の研究者がめいめいの研究成果を持ち寄り、35000件近い奴隷輸送の記録を集めたオンラインデータベースを構築した。2009年に公開されたその最新版によると、奴隷貿易の最盛期にあたる1500年から1840年までの期間に捕らえられ、アメリカ大陸へ送られたアフリカ人は1170万人にのぼるという。かつてなかった大移動である。同じころに移住したヨーロッパ人は340万人と推定されている。つまりアメリカ大陸に渡ったヨーロッパ人とアフリカ人の比率は、おおよそ1対3だったのである」。

アメリカ大陸の奴隷制というのは、需給側のアメリカと供給側のアフリカの野合で産み落とされた悪魔の申し子だったのです。