榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

長らく悪玉とされてきた高師直の復権の狼煙を上げた画期的な一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1143)】

【amazon 『高 師直』 カスタマーレビュー 2018年6月9日】 情熱的読書人間のないしょ話(1143)

散策中、薄黄緑色の花(正しくは総苞)をびっしりと付けたホンコンエンシス(常緑ヤマボウシ)を見かけました。我が家では、白いクチナシが芳香を放っています。白いナツツバキが咲き始めました。ナツツバキは、これから2カ月以上、次から次へと一日花を咲かせ続けてくれることでしょう。赤いスカシユリが咲きました。季節外れの畳替えをしました。そこで、一句――青藺草(あおいぐさ) 古女房を ちらり見る。この句は、女房にはないしょです(笑)。因みに、本日の歩数は10,234でした。

閑話休題、『高 師直――室町新秩序の創造者』(亀田俊和著、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)は、長らく悪玉とされてきた高師直(こうのもろなお)の復権の狼煙を上げた画期的な一冊です。

南北朝時代の武将で、室町幕府初代将軍・足利尊氏の執事・高師直のイメージは、相当悪いと言えるでしょう。「おそらく神仏や皇室・貴族などの伝統的な権威を徹底的に軽視し、非道徳的で極悪非道な所業も数多く、おまけに好色淫乱、要するに最低最悪の人物であるといった評価が一般には流布しているのではないだろうか」。これには、軍記物『太平記』で描かれた師直像と、『仮名手本忠臣蔵』で吉良上野介の役割を担わされたことが大きく影響していると考えられています。

著者が綿密な再検討の結果、辿り着いた結論は、このようなものです。「高師直が武将として優れた力量を有していたこと自体は、従来から知られていた。師直を戦争に弱いと評する者は、おそらくはかつても存在しなかったであろう。否、強すぎるからこそ彼は忌み嫌われていたのである。だが師直の真価は、政治家・行政官として幕政機構の改革を断行したことである。彼が創始した執事施行状なる公文書は、将軍の命令、特に恩賞充行の実現に有効であったため、武士の室町幕府に対する求心力を維持・強化することに役立ち、彼の死後も存続した。執事施行状は後に管領施行状に発展し、執事の後身である管領の根幹を占める文書となった。そして管領制度は、応仁・文明の乱に至るまでの室町幕府機構の基軸となったのである。軍事面だけではなく、政治・行政の側面から政権基礎の確立に一定の貢献を果たし、後世まで幕府の組織・制度面に足跡を残した点において、高師直は卓越した真の改革者として高く評価できる。また当時の武将としては豊かな教養を持ち、神仏を篤く敬う精神も有していた。決して無学で粗暴な人物ではなかったのである」。

師直一族の滅亡は、このようなものでした。将軍・尊氏と執事・師直の軍は、尊氏の弟・足利直義との戦いで敗北します。尊氏が直義に講和を申し出、師直・師泰兄弟を出家させるとの条件で講和が成立します。出家した師直らが京都へ向かう途中、待ち伏せしていた上杉能憲の軍勢に一族もろとも斬殺されてしまったのです。

私にとって、とりわけ興味深いのは、『太平記』に記された、塩冶高貞の美貌の妻に対する師直の横恋慕事件が歴史的事実か否かということです。「『太平記』巻第21には、塩冶高貞が京都を出たのは、美貌で有名な彼の妻に高師直が横恋慕し、随筆『徒然草』の作者として有名な兼好法師に依頼して艶書を代筆させるなどの悪行を行った挙げ句、高貞の陰謀の企てを捏造して将軍兄弟に讒言したためであるとする。師直が高貞妻の入浴をのぞき見したというのも、このときの出来事である。ただしこの話は、妻の存在を師直に教えた侍従局が師直のストーカーぶりに困り果て、湯上がりの化粧をしていない素顔を見せればさすがの彼もあきらめるだろうと考えて手引きしたというのが正しい筋である。侍従局のこの作戦は裏目に出て、妻の素顔のあまりの美しさに師直はその場で悶絶し、彼女への想いをますます強めたわけであるが、厳密に言えば猥褻な行為ではない」。

「師直の恋は完全に事実無根ではない可能性もあるが、少なくとも『太平記』の作為が大幅に入り込んでいると考えられている。しかし『太平記』のこの件に関する一連の記事を完全な史実として認めている研修者は、現代ではほとんどいないであろう」。「高貞が無断で京都を出たのも、直義が述べたように『陰謀を企てた(=南朝に通じた)から』と素直に受け取るべきではないだろうか」。

「高師直と兼好法師に交流があったのは確かである。貞和4(1348)年12月26日、兼好は師直の使者として北朝重臣洞院公賢のもとを訪れ、狩衣以下について相談している」。

「塩冶髙貞とも彼の妻ともまったく無関係なのに、『太平記』のおもしろおかしい創作の餌食にされた高師直こそいい迷惑である」と著者は師直の肩を持っているが、私は、高貞の妻に師直がラヴ・レターを送ったのは事実だと考えています。兼好が作成した恋文が高貞の妻に見向きもされなかったので、師直は激怒し、今度は薬師寺公義が詠んだ和歌を贈るが、これも功を奏しませんでした。しかし、公義が師直に代わって詠んだ和歌は、公義の歌集『元可法師集』258番に収録されているからです。