榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

西郷隆盛、高杉晋作、伊藤博文、大山巌、児玉源太郎、明治天皇、吉田茂の敗北力・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1259)】

【amazon 『敗北力』 カスタマーレビュー 2018年10月5日】 情熱的読書人間のないしょ話(1259)

10月31日のハロウィーンが近づいてきましたね。

閑話休題、高い見識で知られる鶴見俊輔が、どういう意味で「敗北力」という言葉を使っているのか気になったので、エッセイ集『敗北力――Later Works(増補版)』(鶴見俊輔著、編集グループSURE。書店での販売はないため、SUREに直接注文)を手にしました。

「自分の力が衰えたのに気がついて、『もうろく帖』を書きはじめたのは70歳のとき。その第17巻に入り、88歳を越えた。自分のつくったその本を読んで、今年1月8日の分で出会ったのは、敗北力という考えである。敗北力は、どういう条件を満たすときに自分が敗北するかの認識と、その敗北をどのように受けとめるかの気構えから成る」。

敗北力の持ち主のエピソードが挙げられています。「江戸時代の終わり近く、日本人の多くは敗北力をもっていた。長英戦争に敗北して煙の残る中、伊藤博文は町中を歩いて西洋料理の材料を集め、上陸してきたイギリスの使節をもてなす用意を自ら監督して成しとげた。こんなことができる人を最初の総理大臣にするのだから、当時の日本人は欧米諸国を越える目利きだった」。

「やがて施設となってイギリスの軍艦に講和交渉におもむく上使は高杉晋作である。イギリス側が、ここから見える島の一つをお借りできませんかと言うと、高杉は日本の神々の名を並べて、神にいただいたものだからお貸しできませんと答える。この長い話に通訳はうんざりして見送った。あにはからんや、傲岸な悪魔ルシファーに見まがう外見の内に、軍艦買い取りのために中国に行ったときの阿片戦争の筋書きがたたきこまれていて、うっかりするとどういう目に遭うか、高杉には見通しが立っていた」。

「西郷隆盛の内乱の後、明治天皇は西郷に対する少年のころからの自分の敬意を捨て去ることなく、観菊の宴で、西郷をそしらずに歌を詠めと、注文をつけた。少年のころの記憶を捨てることのない明治天皇の態度は、明治末までは貫かれた。明治末に至って、つくりあげた落とし穴だった大逆事件が正されることなく新しい弾圧の時代をつくり、昭和に入って、軍国主義に押し切られて敗北に至った」。

「(明治天皇は)西郷が負けたことの意味を知っていたんです。明治の時代に、早々に新政権の堕落の兆候が見えてきている。それをいさめる力として、西郷は身をなげうって死んだんだ、と。グローバリゼーションなどと言って今は『勝ちっぷり』ばかりが評価されるけれども、明治の日本にはきちんと『負けっぷり』を評価する物差しがあったんですね」。

「敗北力の裏打ちのある勝ち戦を進めることができたのが、児玉源太郎、大山巌の率いる日本の軍隊だった。しかし、この敗北力は大正・昭和に受けつがれることがなかった」。

「日露戦争の終りまで来たのはね、『とにかく負けなかった』ということなんですよ。負けないだけのものすごい計画を作った。その通りにやったんです。だけど、『負けなかったことを勝ったということにしちゃった』んですね。この『すり替え』の『付け』を、その後100年にわたって日本は払わなければならなかった。今もその借財を返していません。第二次世界大戦の敗北にもかかわらず」。

「吉田茂には、今の総理大臣にはない敗北力があった。議会で徳田球一共産党書記長が攻撃演説を終えて、どうだ、参ったかと首相に身ぶりを送ると、吉田茂はそれに対して笑いを返している。その呼吸がなんともいえない」。

「(米国による2度の相次ぐ原爆投下は)日本国が大東亜戦争をみずから起こしてまねいたものであり、その開戦の当初に日本国民を300万人殺すという見通しをもっていなかったことだ。そのみずからの計算ちがいを、1945年の降伏にあたって、日本人は、いわゆる大学出をふくめて、もっていなかっただけでなく、敗戦後の65年、意識の中に保っていないことだ」。

鶴見より3歳年長の金子兜太の言葉が紹介されています。「人間は戦争をやめることができるか。できないでしょうね。できないけれども、戦争を、やめさせなきゃならんという意思だけは捨てられない」。

「今回の原子炉事故に対して、日本人はどれほどの敗北力をもって対することができるか。これは、日本文明の蹉跌だけではなく、世界文明の蹉跌につながるという想像力を、日本の知識人はもつことができるか。原子炉をつくりはじめた初期のころ、武谷三男が、こんなに狭い、地震の多い島国に、いくつも原子炉をつくってどうなるのか、と言ったことを思い起こす。この人は、もういない」。

喚起力、説得力に満ちた鶴見の言葉に触れると、背筋がしゃんと伸びたような気にさせられます。