榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

18歳でイギリスの女王になり、81歳まで君臨したヴィクトリアの真実・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1313)】

【amazon 『図説 ヴィクトリア女王の生涯』 カスタマーレビュー 2018年11月27日】 情熱的読書人間のないしょ話(1313)

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閑話休題、『図説 ヴィクトリア女王の生涯――王宮儀式から愛の行方まで』(村上リコ著、河出書房新社・ふくろうの本)は、肖像画、写真、絵本、風刺画などの図像や日記、手紙を読み解き、ヴィクトリア女王の公的生活、私的生活を丹念に辿っています。

アレクサンドリーナ・ヴィクトリアは僅か18歳でイギリスの君主となります。「1837年に即位したヴィクトリア。まだ若く経験も少なかったので、メルバーン首相と家庭教師レーツェンのほか、周囲を固める女官との噂話にも影響を受けやすかった」。

即位から3年後の1840年、ヴィクトリアは、ドイツの小さな領邦国の君主、ザクセン・コーブルク・ゴータ公の次男、アルバート(母方の従弟)と結婚します。「ヴィクトリアはハンサムで知的なアルバートにベタ惚れだったし、アルバートもそれに応えた」。

「ウィンザー城の(1848年の)クリスマス・ツリー。この(クリスマス・ツリーを囲むヴィクトリア一家の)木版画によってツリーを飾る習慣がイギリスに広まったといわれる」。

1851年5月1日、ロンドンのハイド・パークに鉄とガラスの巨大な建造物が出現します。「それは第1回ロンドン万国博覧会の会場で、水晶宮という愛称で呼ばれた。長さ563メートル、幅124メートル。太陽の光を浴びてキラキラとガラスが輝くようすを、ヴィクトリアは大いに気に入った。女王が記したように『あらゆる国の』『産業と芸術を結び合わせた』『平和の祭典』というところが、実行委員長に就任したアルバートの求めた理想だった」。

「ヴィクトリアはアルバートを深く信頼し、尊敬し、彼の意見をほとんどいつも取り入れた。事実上、妻と夫の二人で一人の君主に近い存在へと生長していったのだ」。

1854年、イギリスはフランスとともにロシアに宣戦布告します。「(クリミア戦争下の)困難続きの彼女(フローレンス・ナイチンゲール)の活動をヴィクトリアは手紙で支援し、評価しながらも、心から羨んだ。『あれほどの善行ができて、貴く勇敢な英雄たちの世話をすることができるのだから』と」。

「ヴィクトリアという名の女王は、時に怒りに震え、時にはありあまる愛や欲望をぶつけ、ただ目の前の問題に取り組んで、精一杯忙しく生きていただけなのだろう」。

「(1860年頃の)仲むつまじい女王夫妻の名刺版写真は大量に売れた。これらの王室写真が火付け役となり、安価で複数の写真が得られる仕組みの名刺版写真を多くの一般国民が利用するようになった」。

道徳的な価値観を大切にし、自他ともに認める仕事中毒であったアルバートは、1861年12月14日、42歳で死去します。「アルバートを失ったヴィクトリアの傷は深く、平常の生活に戻るのには時間がかかった」。これ以降の40年間、ヴィクトリアは原則として黒い喪服で通したのです。

ヴィクトリアの治世下の1868~1894年、ベンジャミン・ディズレーリとウィリアム・グラッドストンという両極端の二人が交互に首相を務めます。ヴィクトリアはディズレーリが大のお気に入りで、グラッドストンは大嫌いでした。

1901年1月22日、ヴィクトリアは81年の生涯を閉じます。

「好きでもない相手からおどおどと指図されるのは我慢ならないが、その一方、立派で力強い、愛する男にならむしろ命令してほしい。たくましい夫にしとやかに従う妻、という19世紀の女性らしい役割を嬉々として演じたがった――ただし、アルバートに聞いてみたら、やりたがったというだけで、演じきれていなかったではないかと言うかもしれない。内気な一面を覆い隠して、威厳のあるふるまいはできる。しかし自分にも他人にも嘘をつくことは難しい。冷静に建前を示すだけの力はあるが、本音を隠すこともできない。彼女は、81歳になっても10歳の少女のモラルを保ち続けていたのかもしれない。少なくともそうありたいと願い続ける執念深さと保守性は持ち合わせていた。一貫性がないようで、一見複雑なようにも見えるけれど、ひょっとしたら根は単純。『帝国の母』あるいは『ヨーロッパの祖母』としてのイメージでとらえられがちだけれど、幼い子どものようでもある――そんな彼女だからこそ、王宮は、政治家は、そして国中が、彼女に心を寄せ、自分と国のイメージを重ね合わせて見たのかもしれない」。著者のこのヴィクトリア評は説得力があります。

本書のおかげで、遠い存在であったヴィクトリア女王が身近に感じられるようになりました。