榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

アメリカの奴隷制下で自らの逃亡と、奴隷救出活動を成功させた黒人女性がいた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1499)】

【amazon 『ハリエット・タブマン』 カスタマーレビュー 2019年5月27日】 情熱的読書人間のないしょ話(1499)

フェイジョアが、花弁の内側は薄紫色で、外側は白く、多数の長い雄蕊が美しい花を咲かせています。キンシバイが黄色い花を、カシワバアジサイが白い花を、グラジオラスが赤紫色の花を咲かせています。ケムリノキ(スモークツリー)の雌木の花が散った後、伸びた花柄が煙のように見えます。ビワ、サクランボ(セイヨウミザクラ)が実を付けています。ナミテントウを見つけました。トウキョウダルマガエルの幼生(オタマジャクシ)に後肢が生えています。間もなく前肢も生えてくることでしょう。因みに、本日の歩数は10,615でした。

閑話休題、『ハリエット・タブマン――「モーゼ」と呼ばれた黒人女性』(上杉忍著、新曜社)によって、ハリエット・タブマンという、アメリカの奴隷制下で自らの逃亡と、仲間の黒人奴隷たちの救出を成功させた黒人女性がいたことを初めて知りました。

タブマンの目の覚めるような活躍は、3つに整理することができます。

第1は、逃亡奴隷法という奴隷にとって苛酷な法律が施行されている中、読み書きができない27歳の女奴隷・タブマンが、一人で、南部の奴隷州から北部の自由州に逃亡することに成功したこと。

第2は、危険を冒して何度も南部の奴隷州に戻り、黒人奴隷たちを自由の地に救出する「地下鉄道運動」の活動家として、多くの奴隷救出を成し遂げたこと。

「メリーランド州イースタンショア地域で奴隷として生まれたタブマンは、所有者以外の白人雇用者にたびたび貸し出された。とくに森と沼地での材木伐採・運搬労働に従事する過程で、奴隷主の監視から相対的に自由になり、多数の自由黒人や白人を含む港湾労働者や船員との接触を通じて、広い世界の事情に触れることができた。そしてなによりも(奴隷ではあるが)高度な技術と知識をもつ材木職人だった父親とともに労働することによって、技術や知識を高め、肉体を鍛え上げた。このように鍛え上げられた彼女の体力と技術、知力、感性こそが、彼女自身の逃亡と家族や郷里の仲間たちの奴隷州からの救出作戦を成功させた主な要因だった。・・・タブマンが『失敗しなかった』理由としては、以上のような客観的状況に恵まれていたこと、彼女に人並み以上の知識と能力が備わっていたことがまず挙げられる。しかし忘れてはいけないことは、彼女が緻密な準備を周到に重ねたうえで作戦を展開したということである」。

第3は、救出した黒人たちが自立できるよう、その後の生活や教育に責任を持ち、カナダやニューヨーク州で黒人コミュニティー「オーバン・タブマン・ホーム」の構築・運営に努めたこと。

ここまでタブマンを衝き動かしたものは何だったのでしょうか。「タブマンの3人の姉は深南部に売却され、行方知れずになっていたし、彼女を含め兄弟たちは、奴隷主によってつねに売却される危険に直面し続けていた。彼女が逃亡を決意し断行した直接のきっかけは、彼らを売却する競売が裁判所の前でまもなく行われる予定だとの情報だった。彼女の逃亡の決意とその後の家族や黒人仲間の逃亡支援活動を支えた情念は、厳しい奴隷労働や暴力的懲罰からの脱出への顔貌というよりは、家族の愛に囲まれてきた幼少期の記憶と、家族分断に対する悲しみと怒り、そして家族や黒人コミュニティーの再結合への顔貌によって掻き立てられたものだった」。

「最後に指摘しておきたいことは、タブマンの行動は、なによりもまず『主の導き』に従って行われたことである。・・・彼女にとって『主』とは、事実上、彼女自身の良心のことであり、彼女は自分の行動は自分で決め、その責任は自分で取ると考えていたとみるべきであろう」。

タブマンは、奴隷解放宣言で有名なリンカン大統領をどう見ていたのでしょうか。「(南北戦争に従軍した時)連邦軍のなかで黒人兵が給料をはじめさまざまな差別を受けているのを見てきたタブマンは、差別を放置しているリンカンを肯定的に評価することはできなかった。そのため、彼女は、トルースに同行して(大統領再選を目指す)リンカンを激励することはしなかった。その後、トルースから『ワシントンでリンカンに会ったときの印象から、リンカンは、あくまでも国のために誠実に尽くしており、何ら利己的野心のない人物だ』と感じたという話を聞き、タブマンはリンカンに対して厳しすぎたようだったと30年後に語っている」。

このように確固たる使命感を持ち、勇気があるだけでなく、必要な準備を周到に行うことによって、常人にはとても困難なことを次々と成功させた女性が実在したことを、今日まで知らなかったとは、私は何という迂闊者なんでしょう。