榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

イスラム国の性奴隷にされたヤズィディ教徒の若き女性の勇気ある告発・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1529)】

【amazon 『THE LAST GIRL』 カスタマーレビュー 2019年6月26日】 情熱的読書人間のないしょ話(1529)

ラクウショウの実が、人間の顔のように見えます。あちこちで、ノウゼンカズラが橙色の花を付けています。ヒマワリがそそり立っています。アサガオが咲き始めました。ムラサキバレンギク(エキナセア・プルプレア)が桃色の花を、キバナクンシランが黄色の花を咲かせています。我が家の庭にやって来たアゲハチョウは、翅がぼろぼろです。因みに、本日の歩数は10,854でした。

閑話休題、『THE LAST GIRL――イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語』(ナディア・ムラド、ジェナ・クラジェスキ著、吉井智津訳、東洋館出版社)は、過激派組織・ISIS(イスラム国)の人間たちから性奴隷(アラビア語でサビーヤ)にされたヤズィディ教徒の若き女性の勇気ある告発です。本書には、自分たちのような体験をする女性が今後、現れないようにとの願いが込められています。

2014年、ナディア・ムラドが住んでいたイラク北部のコーチョという小村をイスラム国が襲い、21歳の学生だった彼女の生活は一変してしまいます。ナディアの最愛の母は、80人の高齢女性たちと共に処刑され、目印一つない墓穴に埋められました。彼女の兄たち6人は、数百人の男性たちと一緒に、一日のうちに殺されました。

ナディア自身は、同胞のヤズィディ教徒の若い女性たちと同じように、イスラム国の人間の手から手へと売り渡され、レイプされ続け、暴行され続けたのです。

「ISIS支配下のモースルでおこなわれていた奴隷売買の規模がどれほど大きなものであったかが明らかになってきた。何千人ものヤズィディ教徒の女性たちが、住んでいた場所から連れてこられ、売買あるいは交換されたり、地位の高い戦闘員や族長らに贈り物として与えられたりして、イラクとシリア全体に及ぶあちこちの町に運ばれていたのだ」。

「奴隷市場は夜に開かれた。・・・私たちが叫び、懇願しているあいだも、戦闘員たちは私たちを物色しながら部屋を歩きまわっていた。・・・男たちは入ってくるなり、見た目のきれいな娘たちに引き寄せられるように近づいては、『何歳だ?』と訊き、その子たちの髪や口を見て品定めしていた。『あそこにいるのは処女で間違いないな?』と、尋ねるものがいれば、見張り役が『もちろんですよ!』と、まるで商店主が店の商品を自慢するみたいに答えていた。・・・戦闘員たちは動物をさわるみたいに私たちの胸や脚をなでまわし、すわりたいだけさわっていた。戦闘員たちが女たちをじろじろ見ながらアラビア語やトルクメン語で問いかけてまわっているあいだ、部屋はカオス状態だった」。

「(性奴隷にすることによって)ISISはゆっくりとヤズィディ教徒の女性たちを殺し続けていた。最初に、彼らは私たちをもといた場所から連れ去り、私たちとともにいた男たちを殺した。つぎに殻らは私たちを母親や姉たちから引き離した。どこにいるときも、彼らは私たちがただの所有物であり、アブー・バタトが私の乳房を握り潰そうしているかのように強くつかんだり、ナファが私の体に煙草の火を押しつけたりしたように、さわられ、虐待されるためにそこにいるのだと思い出させた。こうした侵害行為のすべてが、私たちの魂を処刑するひとつひとつのステップだった。信仰(ヤズィディ教)を取りあげられたのは、何よりも残酷なことだった」。

「実際には、(イスラム国の)男よりもいっそう残酷な(イスラム国の)女性の話を聞くことのほうが多い。その女性たちは、夫のサビーヤを殴り、飢えさせるという。嫉妬からか、怒りからか、それとも私たちがターゲットになりやすいからかはわからない」。

「レイプほどひどいものはない。それは私たちから人間性を奪い、将来への希望、つまり、ヤズィディ教徒の社会へ戻り、結婚し、子供を持つという将来を思い描くことすら不可能にしてしまう。そんなことを去れるくらいなら殺されたほうがましだと、私たちは思った。ヤズィディ教徒の未婚女性にとって、イスラム教に改宗させられ、処女でなくなることがどれほどの打撃になるかをISISは知っていて、だからこそ彼らは私たちがいちばん恐れていること、つまり私たちのコミュニティと宗教的指導者が、私たちが帰っても受け入れないことを利用したのだ。『逃げたければ逃げればいい』。ハッジ・サルマーンはよく私にそう言った。『たとえ家にたどり着けたとしても、おまえの父親かおじに殺されるだけだ。おまえはもう処女ではない、それにムスリムなのだからな!』」。

逃亡を図り、失敗したナディアに対し、「サルマーンは聞いたこともないような大きな声で怒鳴った。『さあそこから出てきて、服を脱げ!』。選択の余地はなかった。私は上掛けをのけ、サルマーンが鞭を持ったまま立っているそばで服を脱ぎはじめた。素っ裸になり、じっと立ったまま、次にされることを待ちながら、静かに泣いていた」。この直後、ナディアは3人の見張り役の男たちに次々にレイプされるという罰を与えらます。そして、見知らぬ男に売り渡されてしまったのです。

「そのときまでにはもう、私はこの痩せた戦闘員のものでも、ほかの特定の誰かのものでもないことがはっきりしていた。私は検問所のサビーヤ、つまりイスラム国のメンバーであれば、誰が部屋に入ってきて、好きにしてよいものになっていた。マットレス一枚と腐りかけのフルーツの入った皿以外に何もない部屋に私を閉じこめ、ドアが開いて、次の戦闘員が入ってくるまでただ待たせておくのだ。これがこのときの私の生活だった」。

著者の怒りと哀しみが、ひしひしと伝わってくる一冊です。