榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

老歌人の短歌を巡るエッセイ集――これが意外に面白い・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1743)】

【amazon 『歌が照らす』 カスタマーレビュー 2020年1月22日】 情熱的読書人間のないしょ話(1743)

5mの近さから、念願のカケスの成鳥と幼鳥を撮影することができました。これに満足することなく、もっと鮮明な全体像が撮れるまで、頑張るぞ! シロハラの雄、シメの雄、アオジの雌もカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,506でした。

閑話休題、『歌が照らす』(伊藤一彦著、本阿弥書店)は、指導的な立場にある老歌人の短歌を巡るエッセイ集です。

「『だくだく』から『すうすう』まで――河野裕子」のこういう一節が目を惹きます。「<たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか>。有名な歌である。『ガサッと」のオノマトペが大胆で面白い。花をさらうようになら陳腐だが、荒々しく『落葉すくふやうに』だから印象に残る。この『ガサッと』は落葉を一気にたくさんすくうさまの擬態語であると同時に、乾いた落葉をすくうときの音を表わす擬音語にもなっている。そこが巧い。『カサッと』ではもちろんだめだったろう。たくさんの落葉を大きい音をたてて、という濁音の『ガサッと』で初めて、作者のさらっていってほしいという願望が強く伝わってくる。彼女も生涯に一度しか使わなかった『ガサッと」である』。

<土偶にも卑弥呼にも通ひだくだくとわれの日本の女の血めぐる>、<頭(づ)も眉もすうすうとせる身となれりあはれな裕子と言ふ母も亡し>などの歌にも、オノマトペが効果的に使われています。

「病巣とともに生きざるを得ぬ自分の身と心を文字通り全身全霊で表現するためのオノマトペだった。河野裕子はオノマトペで歌い、生きた歌人だったと思う」。河野裕子という歌人の本質を、一言で的確に表現しています。

「感じるって楽しいですか――野口あや子」によって、野口あや子という過激な歌人を知ることができました。「自分自身をどう受け容れ、どう信じるかという野口あや子の問いは苛烈である。そんな彼女が恋の歌を歌うといかなる作品になるか。<私とのこと過ちと片付けて寒い目をする君に会いたい>。<白鳥の羽根にまみれた夜が来て 正しく愛せているのだろうか>。<痛々しいまでに真白い喉仏震わせながら愛なんて言う>。一首目、こんな恋歌がこれまであっただろうか、『私とのこと過ちと片付けて』ほしいというのだ、そんなふうに自分を見る『寒い目をする君』に会いたいなどと。恋人に自分のことを『過ち』と否定される方が楽だというのである。みずからも信じがたい自分を相手が愛し信じてくれることの重さと辛さを率直かつ切実に歌っている。二首目、上の句は性愛の美しい象徴的表現として読める。もしそうだとして、こんな場面で『正しく愛せているのだろうか』という自問を行うとは興ざめではあるまいか。しかし、興ざめを恐れぬこの愛のコンフリクトは彼女の身上である。三首目、『愛なんて言う』と相手に対して否定的なもの言いに聞こえるが、上の句とあわせ読むとその『愛』をじつは信じたいのだという気持が私には伝わってくる」。野口あや子という歌人は、私の注目株となりました。

「復本一郎著『歌よみ人 正岡子規』」の書評を読んで、この本を読みたくなってしまいました。「子規と与謝野鉄幹のお互いのライバル視の関係は、本書の読みどころのひとつであろう。子規の『歌よみに与ふる書』が鉄幹の『亡国の音』を意識して書かれていることを指摘し、子規の『鉄幹子規不可並称の説』の真意を述べる。鉄幹の方も子規を強く意識していたことを具体的な資料で明らかにする。子規の『死後まで続いていたこのライバル心に、幾分か凄涼なるものを感じる』と」。ここまで書かれて、読まずに済ますことができるでしょうか。