榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

生前、無名だったゴッホの画力を世界中に認めさせた,弟の妻・ヨーの手になるゴッホの伝記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1835)】

【amazon 『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』 カスタマーレビュー 2020年4月22日】 情熱的読書人間のないしょ話(1835)

日光浴をしているムラサキシジミの雌を見つけました。翅の表面は青く輝いているが、裏面は地味です。散策中、垣根越しに、何という植物か尋ねたところ、その家の女性から招じ入れられました。そこは、ミツバアケビ、ケマンソウ(タイツリソウ)、イカリソウ、野生種のエビネ、ワスレナグサ、原種チューリップ、チューリップが咲く豊かで素敵な花園でした。帰り際に表札を見たら、「豊田」とありました。通りかかったモウソウチクの竹林でタケノコ掘りをしている女性から、女房がタケノコをもらいました。米糠も手に入ったので、いろいろなタケノコ料理が楽しめそうです。因みに、本日の歩数は13,046でした。

閑話休題、『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』(ヨー・ファン・ゴッホ・ボンゲル著、マーティン・ゲイフィード解説、林卓行監訳、吉川真理子訳、東京書籍)を読んで、びっくりしたことが3つあります。

第1は、フィンセント・ファン・ゴッホが37歳で拳銃自殺(異説あり)し、その半年後に、弟・テオが死去したのを受けて、テオの若き妻・ヨーが、夫の夢を実現しようと決意したこと。そして、35年に亘り、無名の画家に過ぎなかったフィンセントの画業顕彰に努め、遂に、フィンセントが傑出した画家であることを人々に認めさせたこと。

第2は、ヨーがフィンセントと会ったのは、僅か3回で、しかも、そのどれもが短時間であったこと。しかし、この伝記では、手元に残されたフィンセントの大量の作品と、兄弟間でやり取りされた多数の手紙を活用することによって、フィンセントの絵画制作に対する迸るような芸術家魂を生き生きと描き出すことに成功しています。

アントワープ時代のフィンセントのテオ宛ての手紙。「<・・・送金を受けとったとき、たとえなにも食べていなくても、まっさきに欲しいと思うのは食べ物じゃないんだ。絵を描きたいという欲求のほうがずっと強い。だからすぐにモデルを探しに外へ出て、もらったお金が底をつくまで描き続けてしまうのさ>」。

「(アルルでの)フィンセントの創作意欲と画力は、まったく衰えを見せることがなかった。<自分でもぞっとするほど冴えた状態になることがあるんだ。自然をとても美しく感じられるここ数日は、もはや自分が自分であるということさえ意識しなくなる。そしてまるで夢でみたかのように、絵のほうがぼくのところへやってくるんだよ>。そして有頂天になった彼は声をあげる。<人生は行きつくところ、ほとんど魔法をかけられたようなものなんだ>」。

「フィンセントは(サン・レミの療養院での)丸1年のあいだ、この陰気な環境のなかですごした。繰り返し襲ってくる病気の発作にも、不屈の精神力で抗い続け、しかも昔からのたゆまぬ熱情をもって制作を続けた。その熱情だけが、いまやなにもかも失った彼を支えていたのだ。彼は夜明けと日暮れのひとときを待って、窓から見える荒れ果てた風景を描いた。アルプス山脈の麓近くの広い野原を描くために、遠くまで歩き回った。くねくねと曲がった枝を持ったオリーヴ園を描き、陰気な糸杉や、療養院のくすんだ庭、そして『麦刈る人』を描いた――<自然という偉大なお手本が教えてくれるもののひとつ、それは死のイメージだ>」。

第3は、ヨーはそうとは記していないが、フィンセントは統合失調症(多くの異説あり)であったと思われること、そして、兄を精神的、経済的に支えたテオが進行した梅毒で死去したこと。ヨーは、テオとの間の一人息子・フィンセント(伯父と同じ名)の将来を考えて、敢えて、これらに触れなかったと思われます。

本書の巻頭に置かれたマーティン・ゲイフォードの内容の濃い「解説」が、私たちの理解を深めてくれます。

「(ヨーの)新婚の夫はすでに手のほどこしようのない晩期の梅毒で、命を落としてしまう。残された財産はわずかな額で、ほかに残されたものといえば生まれたばかりのひとり息子、夫の半年前に死んだ,売れない画家だった義兄が描いた大量の絵、そして膨大な数の手紙――大多数は変わり者の義兄が弟に宛てて書いたもの――くらいだ」。

「彼女(ヨー)はこの義兄フィンセント・ファン・ゴッホの名前を世界中に広めようと、その語の35年間の人生を捧げ、彼の書いた手紙を『判読し、順序を整え』、さらに英語に翻訳しただけでなく、ここにある『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』という短い伝記を著した」。

「彼女(ヨー)から見ても、テオから見ても、そして私たちから見ても、哀れなフィンセントには二面性があるのだし、私たちはそのふたつの面を合わせて見なければならない。いっぽうに雄弁で、思慮に満ち、ひとを感動させるような手紙を書く、芸術の巨人としての像がある。だが他方でその実像は、献身的な弟でさえ何百キロという距離をおきたいと思わせるほどの人物だった」。

フィンセントの人生の歩みに合わせて、彼の作品が数多く掲載されているのも、本書の大きな魅力となっています。