榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

日本一気の毒なヤツを見るような目で見るなよ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1836)】

【amazon 『平場の月』 カスタマーレビュー 2020年4月23日】 情熱的読書人間のないしょ話(1836)

シーラ・ペルヴィアナ、ドイツスズラン、シランが咲き始めています。ヒラドツツジ、クルメツツジ(キリシマツツジ)、フジも頑張っています。

閑話休題、『平場の月』(朝倉かすみ著、光文社)は、中学の同級生、青砥健将と須藤葉子が、地元の中央病院の売店で35年ぶりに再会し、心も体も微妙に揺れ動く過程を綴った、「中年の、中年による、中年のための恋愛小説」です。

青砥には、中学3年の時、「太い」と感じた須藤に、「友だちからでいいので付き合ってください」と告白して振られた経験があります。この「太い」は肉体的なものではなく、精神的にしっかりしている、肝が据わっているといった意味合いで使われています。

「須藤が中央病院の売店で働き始めたのは二年前だったようだ」。「青砥が、六年前に寡婦となった母の近くで暮らそうと地元に中古マンションを買い、ほどなくして妻子に出て行かれ、三年前、母が卒中で倒れたのをきっかけにして都内の製本会社を辞め、地元の印刷会社に転職した」のです。

須藤の何を知っても、青砥の須藤に対する思いは揺らぎません。「青砥の内側で、須藤は損なわれなかった。それが愉快だった、どんな話を聞いても、そこにどんな須藤があらわれても、損なわれないと思った。酒乱と知って一緒になって、途中でやっぱりうまくいかず、そのまま(同級生から奪い取った夫と)永遠の別れとなってしまっても、歳下のクズ(の男)に浮かされて(経済的に)丸裸になっても、安アパートに住み、(売店の)シフト入れまくってやっとこ生活していても、青砥のなかで須藤の値段は下がらない」。

進行性の大腸がんと宣告された須藤は、ストーマ(人工肛門)を造設することを決意します。「須藤を大事に思うきもちが揺さぶられた。しょせん、親友でも恋人でもない。・・・ストーマがどんなものかはまだ知らないが、青砥にとって須藤は須藤だ。損なわれるはずがない。確信はあるのだが、口にしなかったのは、たぶん、歳を重ねることでいつのまにか培われた慎重さゆえだった」。

「『やめてよ、青砥』とあばれる須藤の手首を握り、胸の下で交差させて抱きしめ、頬に頬をつけた。おとなしくなった須藤の顎を上げさせ、口づけを落とした。唇を離したら、『どうするんだよ』と須藤が泣くのを我慢しているような声で言い、『どうもしないよ』とまた唇を合わせた。今度は長くなった。吐息が漏れた。・・・須藤のジーンズのボタンを外した。指で探ったら、ちゃんと湿った音が立った。指を使うと音に厚みがくわわった。須藤のそこは若い女のようであり、若い女にはない折り重なった熱気が青砥の指を濡らした。『痛恨だなぁ』と須藤が喉の奥で笑った。そして八月二十三日火曜日。須藤は腫瘍をふくむ直腸を切断し、肛門を閉じ、ストーマを造設した」。

その後、リンパ節への転移が分かり、抗がん剤治療が始まります。「『おまえの面倒はおれがみるから』という科白が喉まで出た。口から出なかったのは、それが須藤の嫌いな言い方のような気がしたのと、青砥がまだ腹を決めていないせいだった。青砥はまだ『おれがいる』でさえ口にできなかった。須藤は大事だ。これはほんとだ。だから、『おれにできること』を考えると、なにもさせてもらえないくせに、とさみしく足がすくむのだった」。

「『青砥には充分助けてもらってるよ。青砥は甘やかしてくれる。この歳で甘やかしてくれるひとに会えるなんて、もはやすでに僥倖だ』。『おれはもっとおまえのためになりたいんだがな』。青砥が少ししつこくなったのは、嬉しさのせいだった。須郷が青砥へのきもちを初めて明かした」からです。

「『大丈夫か』と振り向いた青砥に須藤が言った。少し笑っていた。のろのろとからだを起こすところだった。『日本一気の毒なヤツを見るような目で見るなよ』。『んなことないよ』」。

「付き合っているというよりも、も少し深く根を張った間柄となった須藤との恋人同士としての時間が、得難いものに思えてきた。それはそれで、たぶん、濃密な時間だ」。

青砥は思い切って、「須藤、一緒にならないか」と口に出します。「須藤の気配は拒絶だった。取りつく島もないタイプの、真っ暗な、拒否だった。須藤が言った。『もう会わない』。さらに言った。『青砥とは、もう一生、会わない』」。そう言い張る須藤を何とかなだめて、1年間は会わないということで折り合いをつけたものの、それからは、何度、LINEを送っても既読がつかず、LINE電話をかけても呼び出し音が続くだけでした。いったい、須藤はどうしてしまったのでしょうか・・・。

一気に読み終わった時、青砥と完全に一体化してしまっている自分に気づき、女房に気づかれなかったか心配になりました。