創作の秘密、歴史の謎、自然災害からの立ち直り――心に響くスピーチ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1154)】
アナベルというアジサイの園芸品種は、まるで大きな白い毬のようです。
閑話休題、『日本ペンクラブ 名スピーチ集』(日本ペンクラブ編、創美社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)には、16人の作家のスピーチが収録されています。
とりわけ印象に残ったのは、阿刀田高、浅田次郎、立松和平のスピーチです。
阿刀田の「小説グリコ」では、松本清張の短篇の秘密が語られています。「私は20代の後半から30代にかけて松本清張の作品を愛読いたしました。特に短編小説をよく読みました。もちろん、一読者として楽しんでいたわけです。ところが、その後、自分が職業作家となって、たくさんの短編小説を書き、この体験を踏まえたうえで、あらためて松本清張を読むと、『ふーん、清張さんは、こんなふうに創っていたのか』。工房の秘密がかいま見えてまいります。同業者だからこそわかることがあります」。
「こういう(語ればおもしろい)トピックスの中には、話としてはまことにおもしろいけれど、それを題材にして小説を創るのはむずかしい、つまり小説化が困難なトピックスもたくさんあります。・・・ところが、松本清張は、こういう小説化のむずかしいものでも強引に小説にしてしまう。その腕力のすごさ、技の見事さに私は感嘆いたしました」。
清張は、万葉集の「渟名河(ぬながは)の・・・」の女性を称える歌と、古事記の「沼河比売(ぬなかはひめ)への求婚の歌が関連していると考え、このトピックスを素にして、『万葉翡翠』という短篇を創り上げてしまったというのです。「小説化のむずかしいトピックスを強引に小説にしてしまう実例です」。清張の凄さがびりびりっと伝わってきます。
浅田の「中国と私」では、清王朝繁栄の謎が明かされています。「(歴代の王朝では愚かな皇帝が出現してしまうが)清王朝はそうでもない。むしろ『これは素晴らしい』という王が出る。たとえば、4代・康熙帝、5代・雍正帝、6代・乾隆帝と3人の皇帝が続きますが、どの事跡を見ても、スーパーマンみたいな皇帝なのです。そういう有能な王様が出るのは、長子相続ではなくて、いちばん優秀な子を長に立てるという伝統に拠るところが大きいと思います」。この奥深い解釈には脱帽です。
立松の「天明の浅間山大噴火を小説にして」では、「ひっしほ ひっしほ わちわち わちわち」と押し寄せた溶岩流に呑み込まれた浅間山北麓の鎌原(かんばら)村のことが述べられています。「(村人の8割、477人が死亡し)生き残った93人の村人は着の身着のまま、茫漠たる泥の荒野を隣の干俣村に逃げ込みました。この時の3人の名主の支援が有名です」。
「すべてを失った鎌原村の93人は、それからどうしたか、これが文学的なテーマになってくる。僕はここに惹かれました。幕府の記録に残っているのですが、3人の名主の指導により、ばらばらになった家族を再構成したのです。身分制度、格式の差をなんとかなだめ、ゼロから出発しようと、生き残った男女を夫婦にし、老人・子供を養わせ、親族の契りを結ばせました。噴火から5ヶ月後に7組が、その翌々月には3組が祝言をしました。これを文学として、どのように小説に書き直すか。家族の再構成ということで苦しみから立ち直ろうとした記録は残っていて、おおよそ分かります。そこに血の通った人物を登場させ、どんな災害にあっても人間として生き直すことが可能だという希望を込めて、『浅間』を書いたのです」。現代でも防ぎようのない噴火、地震、洪水などの自然災害の被害者に勇気を与える、このような歴史的事実が広く知られることは大いに意義があると考えます。