江戸時代は身分制度が固定した時代だったという概念を根底から覆す著作・・・【情熱の本箱(280)】
江戸時代は「士農工商」というがちがちの身分制度で身動きのできない窮屈な時代だったという概念を根底から覆す著作が出現した。『壱人両名――江戸日本の知られざる二重身分』(尾脇秀和著。NHK出版・NHKブックス)が、それである。
本書は、衝撃的な実例から始まっている。「公家の正親町三条家に仕える大島数馬と、京都近郊の村に住む百姓の利左衛門。二人は名前も身分も違うが、実は同一人物である。それは、生のイカが干物のスルメになるように、時間の経過や環境の変化で、名前と身分が変わったのではない。彼は大小二本の刀を腰に帯びる、『帯刀』した姿の公家侍『大島数馬』であると同時に、村では野良着を着て農作業に従事する、ごく普通の百姓『利左衛門』でもあった。いわば一人の人間が、ある時は武士、ある時は百姓という、二つの身分と名前を使い分けていたのである。江戸次第、彼のように、二つの名前と身分を使い分ける存在形態を『壱人両名(いちにんりょうめい)』と呼んだ」。
この例に止まらず、江戸時代中期以降は、さまざまな壱人両名が、江戸や京都などの都市部から地方の村に至るまで、あちこちに存在していたことが、豊富な実例で示されている。いわば、本書は、「一人で二人の百姓たち」、「こちらで百姓、あちらで町人」、「士と庶を兼ねる者たち」などの実例集なのだ。
彼らはいったい何なのか。どうして、そんなことをしているのか。「江戸時代は、身分秩序の厳格な時代だといわれる。武士と百姓・町人は、判然と区別された身分で、しかも世襲で固定されていた――という、近代以降に形作られた、現代人のイメージもある。これに基づくと、『士』であると同時に『商』でもあるなんて、絶対に『いるはずのない』存在である。だが現実には、それは広範に存在していた。壱人両名の存在は、幕府の公的な記録でも、百姓・町人らの私的な記録でも、どうしたって覆しようのない明白な事実として確認できてしまうのである」。
「いつの時代も世の中は、原則や、綺麗ごとや、建前だけでは成り立たない。どんな物事にも本音と建前がある。表と裏がある。融通を利かせたやり方がある。表だけ、建前だけを見たのなら、江戸時代は身分が厳格に固定されていて流動性に乏しい――確かにそんな姿しか見えてこない。だが本音と建前、表と裏の両方を見た時、壱人両名のような存在が、全く否定しようのない事実として浮かびあがってくる。壱人両名は、なぜ、存在したのか。本書に登場する数多の壱人両名の男たちは、誰もが知っている、名のある歴史上の人物ではない。いわば『名もなき者』たちである。だがそんな彼らの壱人両名というあり方に注目した時、長い期間、変わらなかったように見える江戸時代の社会、とりわけ身分の固定とか世襲とかいわれているものの、本当の姿が見えてくる」。
「壱人両名は、江戸時代の社会における『支配』別の身分把握、身分格式、身分の株化などを背景として発生していた。普段は百姓だがある時だけ武士になって帯刀する、あるいは武士が町人にもなったりする。一人が二つの名前と身分を両有した時、二人の人間としてこれを使い分ける行動は、社会の秩序に齟齬をきたさない状態を『表向』に作り出すためのものであった。壱人両名は社会秩序に沿って行われた慣習、一種の作法としての機能が大きかったのである。正直に言うとダメだが、慣例的な建前を押し立てると可能になる。それによって社会が円滑に、『穏便』に推移させられるから、治者・被治者ともにそれを暗黙裡に認めている。名前と姿をその時々で変える、どこか不思議な壱人両名という在り方は、江戸時代の人々がその社会構造を前提としてたどり着いた、彼らにとっての合理的な姿だったのである」。
「事実とは異なっていてもそういうことに擬装したほうが、お互い支障がなくて皆にとって喜ばしい結果になる。ゆえに、こうした建前的な処理が暗黙の了承下で行われるのである。真実なるものは、平穏な現状を犠牲にしてまで、強いて白日の下に曝される必要はない。事を荒立てることなく、世の中を穏便に推移させることこそが最優先されるべきであり、秩序は表向きにおいて守られていればよい――。そのように考えて、うまく融通を利かせて調整・処理するのが、長い天下泰平の期間に醸成されていった、江戸時代の秩序観なのである。壱人両名は、その秩序観に基づいた顕著な方法であったといえる。特に非合法とされた壱人両名は、事実に即せば明らかに、支配される側の下位の者が、支配する側たる上位の者に虚偽の申告を行っている行為である。だが『支配』側が、それを『うまいことやっているだけ』だとして黙認していることも多い。ただ何かしらの要因でそれが表沙汰になった場合、その事実は、『上下の差別』を重視する社会の秩序に反するから、処罰せざるを得ないだけのことなのである。江戸時代の社会秩序は、極端に言えば、厳密に守られている必要はない。ただ建前として守られているという体裁がとられていることを重視するのである」。
歴史好きにとっては、見逃すことのできない一冊である。