伝説のアマチュア・ゴルファーは、こう考えていた・・・【続・独りよがりの読書論 番外篇】
『もっと深く、もっと楽しく。――アマチュアのためのゴルフ聖書(バイブル)』中部銀次郎著、集英社文庫)と、その続編である『中部銀次郎 ゴルフの神髄――新編 もっと深く、もっと楽しく』(中部銀次郎著、日経ビジネス人文庫)は、2001年に逝去した伝説のアマチュア・ゴルファー中部(なかべ)銀次郎が、長いゴルフ経験を基にゴルフに対する考え方を率直に述べたものである。移り変わりが激しいゴルフ関連書籍で、これほど長く読み継がれてきたのは珍しいケースと言えるだろう。
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中部は、ゴルフは技術力より精神力のゲームだと考えている。活字による技術論はほとんど益がない。ゴルフ論で役に立つのは、ゴルフに対する考え方について説かれたものだけだ。中部が尊敬してやまない、生涯アマチュアを貫いたボビー・ジョーンズの『ダウン・ザ・フェアウェイ』が多くのゴルファーの心を捉えて放さないのは、終始、この球聖がゴルフについて何を考え、どうプレイしたかを書きつけているからにほかならない。読者はそこから、自分で自分のゴルフを向上させていく「何か」を感じ取ればいいというのである。
ゴルフの半ば以上は気持ちの張りだ。体力でも技術でもない。目的に向けて、日々、保たれている緊張感こそが、ゴルフのレヴェルを向上させていく。ゴルフの質を高めるのは、こういう精神の緊張なのだ。一方、練習ではいつも容易にできることが、試合ではできない。そこで、さらに練習を重ね、気持ちを強めて、試合中でもできるようにする。そこにゴルフの醍醐味があると著者は考える。
ゴルフというゲームは、限りなく続くミスを、どれだけ防いでいくかによって結果が出るものだ。ミスを防ぐというのはテクニカルな問題ではなく、むしろ、極めて心理的なものだという発言は、いかにも中部らしい。
イップス病に悩むゴルファーが多いが、これはゴルフが心理的要素に左右されるスポーツであることを如実に示している。イップス病とまではいかないまでも、パッティングでしびれるタイプのゴルファーは、どちらかと言えば仕事の面でも生真面目な人が多い。ゴルフにおいては練習熱心で追求型の理想主義者、完全主義者が多い。裏返して考えると懐疑主義者とも言えるが、中部自身もこのタイプだと告白している。そこで、試合の相手を意識せず自分のゴルフだけに専念するように努めたというのだ。すなわち、試合相手ではなく、いわゆる「パーおじさんを相手にするゴルフ」に転向したのである。
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中部のゴルフに対する考え方は、実に簡潔明瞭である。本来、ゴルフは上がっていくつのゲームであり、ショットの質など問われない。スコアさえよければ、ショットはどうでもいいのだ。しかし同時に、悪いショットからいいスコアが生まれっこないのも事実であって、だから結局、ゴルファーは不断の練習が欠かせないという結論に至るのである。誰が何と言おうと、ゴルフの上達には練習を重ねる以外に道はない。できれば毎日、たとえ球数は少なくてもいいから、ボールを打つことを勧めている。
ゴルファーにとって、ボールを遠くへ飛ばすことは永遠の夢である。しかし、ボールを遠くへ飛ばそうと思えば思うほど、ボールが曲がってしまうことをゴルファーは知っている。ゴルフは詰まるところボールの飛ばしっこではなく、スコアがいくつかを競うゲームであり、飛ぶことが常に有利だとは決して言えないと、中部は達観していたのである。
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技術論はほとんど益がないと主張する中部の技術論を取り上げるのは矛盾するようだが、彼の技術論は、アドレスとそれに続くスウィングに尽きている。スウィングはアドレスで決まるというのが、彼の持論なのだ。
ゴルフの上達を望むなら、「自然に立つ」ことを学ぶしかない。とは言うものの、「自然に立つ」ことは意外に難しい。では、どうすればいいのか。ゴルフにとって最も大事なアドレス時の頭は、後頭部の髪の毛を後方上方へ引っ張られるような感覚で構えるのがいいと述べている。すると、あごが少し上がり気味になり、従ってボールを下目遣いで見ることになるからだ。
スウィングで大事なことは、「テイクバックで右腰がアドレスした位置より右へずれてはいけない」と、「スウィング中、頭を動かすな」の2点だけというのが、、中部が自らの経験から得た結論なのである。
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