榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

もし、あなたが不可触民として生まれていたら――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その258)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(345)】

【月に3冊以上は本を読む読書好きが集う会 2024年10月27日号】 あなたの人生が最高に輝く時(345)

●『不可触民――もうひとつのインド』(山際素男著、光文社・知恵の森文庫)
●『不可触民の道₋₋₋インド民衆のなかへ』(山際素男著、光文社・知恵の森文庫)

不可触民――もうひとつのインド』(山際素男著、光文社・知恵の森文庫)を初めて読んだ時の衝撃は、すさまじいものであった。現代のこの世に、このように非人道的な差別が行われていることが信じられなかったからである。

「不可触民」という存在は、このように説明されている。「(インドの)カースト制の最も重要な概念や中心的存在は、その人間の魂の『浄、不浄』観、なのである。この浄、不浄は現実生活でさまざまな掟、習慣によって規定されている。ほとんどの肉体労働、動物の屍体処理、排泄物の処理、これら全ては『不浄』のタブー視され、特定の社会的世襲的階層、即ち不可触民という四姓外のいわゆるアウトカーストの人びとにのみ課されてきた。この3000年来のインド社会の内的、外的生活信条を貫く不文律な掟は今もなおインド人の心身と、社会を固くしばりつけている」。

「村の女は、(支配階級の)カーストヒンズー(ヒンズー教徒のインド人)の仕返しを恐れて、(支配階級の)井戸へはよういかんでしただ。ところが、4人の女ごが夜、こっそり井戸に水を汲みにいったとです。・・・村のもんが多勢見る前で、4人は殴る、蹴るの目にあわされたあげく、あんた、4人とも丸裸にされましての、おまけに、頭を坊主に剃られてしもうたですじゃ。それから首にロープを結ばれ、村中を引き回されましたのじゃ」と語った不可触民は、「わしらのことを日本の人たちに告げて下せえ」と著者に頼み込む。

なぜ、こうように酷い状態が放置されているのか。ある不可触民が、「支配階級としてのカーストヒンズーからみれば、この不可触制ほど都合のいいものはないでしょう。自分たちの一番厭な肉体労働、不潔な仕事の一切を、世襲的に背負わせ、土地をあたえず『農奴』としてただ同然に働かせる。女は男のセックスの慰み物として、好きなように扱う。こんな制度、つまり、こういうのが奴隷制、というのでしょう。いや、奴隷制よりなお悪いでしょうね。そういう状態を強制しておきながら、衣食住に対して一切責任を負わないのですから。つまり、こういう存在が1億以上もいて、人びとに奉仕してくれるのなら、だれだってそういう制度は、あってくれた方がいい、と思うじゃありませんか」と、鋭く告発している。

再びインドを訪れた著者の『不可触民の道――インド民衆のなかへ』(山際素男著、光文社・知恵の森文庫)も、内容は重い。

「最近も、こういう事件があった。ある地主が不可触民の美しい人妻にいい寄り、夫に見つかり殴られた。その夫は地主の報復を恐れ村を逃げ出した。地主は人を雇い、2年もかかって夫の行方を探し求め、遂に取り押さえ村へ連行した。夫は村人全員が見ている前でリンチにかけられ、木に逆吊りにされた。逆吊りにされた夫の下で妻は地主の手下に輪姦され、それが終ると、夫はケロシン(油)をかけられ火焙りにされた」と、この世ならず痛ましく残酷無残な現状について述べている。

「ムサハールの人びと(不可触民)の専業、ええ、カーストとしての仕事ですよ、は、なんだったと思います? 畑の野鼠取りだったのです。他にやることがないのか、というんですか? この土地ではそれがあの人たちの仕事なんだから、それで食べてゆく他ないのです。それがカースト、というものなのです。しかし、野鼠を取った報酬ぐらいでどうして一家が生きてゆけますか。あの人たちはね、ヤマギワさん、野鼠が畑の穴の中に蓄えている穀粒を一日中かかって拾い集め、自分たちの食扶持の足しにしていたのです。そうです、そういう生活しか許されなかったのです。それも何百年もの間ですよ!」という不可触民の話は、底辺民衆の惨状を如実に物語っている。

マハトマ・ガンジーについて、目覚めた不可触民たちは、「あの人(ガンジー)は、カーストヒンズーに受け入れられる形での啓蒙運動をしていたのであって、その社会を変えるような社会改革にはことごとく反対していたのです」、「ガンジーという存在は、反英反植民地民族的指導者としてカーストヒンズーのインド人にとって大きな魅力であり、西欧にとっては、東洋的神秘思想の具現者として衝撃的存在だったのでしょう。しかしそのどちらにも、ヒンズーカースト社会の根本的矛盾と差別に苦しむ不可触民という存在は含まれていなかったと思います」と批判的である。
  
「不可触民は今や確かに変りつつある。非道な差別、虐待に打ちのめされながらもじりじりとインド社会の重圧を押しのけ、一寸刻みにではあっても、重い差別の、地獄の釜のふたをこじ開けている」と、著者は、不可触民出身のビームラーオ・アンベードカルの仏教への集団改宗によるカースト制からの離脱、文盲をなくすための教育、そして地位向上を目指す「不可触民の不可触民による不可触民のための運動」に期待を寄せているが、最新のレポートによれば、残念ながら、その歩みは遅々としており、差別は現在も根強く存在しているのが現実である。