情熱という名の女たち(その3)――死をも恐れず敬愛する革命家と行動を共にした女・・・【情熱の本箱(3)】
虐殺された大杉栄と伊藤野枝
伊藤野枝様、あなたという女性をこれまで誤解していました。大正12年の関東大震災の混乱に乗じた甘粕憲兵大尉の手によって、大杉栄、その6歳の甥とともに虐殺された女性ということ以上は何も知りませんでした。大杉にひっそりと寄り添う控えめな女性が、惨殺という不幸な出来事に巻き込まれてしまったのだろうと単純に思い込んでいたのです。
あなたは、本当は、驚くべき女性だったのです。先ず、あなたは並外れた知的向上心の塊でした。形式的な最初の結婚を解消して、高等女学校で教えを受けた辻潤の所に転がり込んだのも、その辻からむさぼるようにさまざまなことを吸収したのも、向上心の表れでした。その後、10歳年上の大杉を巡る妻・保子、神近市子との四角関係を経て、常に大杉と行動を共にするようになったのも、向上心のなせる業でした。
また、「元始、女性は太陽であった」という平塚らいてうの発刊の辞で名高い、「新しい女」たちの雑誌「青鞜」に最年少の同人として参加し、やがて、その編集をらいてうから引き継いだのも、向上心に衝き動かされてのことでした。
伊藤野枝が愛した大杉栄
さらに、あなたは人を愛することにおいて、誰も敵わないほどひたむきな人でした。あなたが手紙に記した「今の世の中の権力者を敵にする私共の生活」は、常時、数人の警官に見張られ、尾行されているという、文字どおり危険と背中合わせのものでした。全世界を敵に回そうと大杉との愛に殉じようと覚悟を決めていたあなたは、事実、そのとおりの運命を辿ったのです。
あなたが心の奥底から尊敬し、愛した大杉の思想家・革命家としての評価は、現在に至るまで多くの人によってさまざまに語られていますが、このこと自体が、大杉という人物の魅力の大きさを証明していると言えるでしょう。社会の根本的な問題点を見抜く大杉の目はさすがだと思いますが、正直言って、大杉が夢見たアナキズム(無政府主義)の実現性には首を傾げざるを得ません。
しかし、発禁、投獄などの度重なる弾圧に屈することなく、自分が正しいと信じる思想を発表し続けたその勇気には、本当に頭が下がります。
あなたが28歳という若さであのように無惨な最期を迎えなければならなかったことは誠に残念であり、甘粕とその背後に蠢く者たちの卑劣な行為は断じて許せるものではありませんが、あなたはこのような日が来ることを予感していたのではありませんか。だからこそ、短くとも充実した人生にしようと遮二無二頑張ったのではありませんか。
愛する人と価値観を共有できることほど幸せなことはありません。価値観を共有することは、人生を共有することだからです。誤解を恐れずに敢えて言えば、最愛の大杉と共に闘い、共に死んだあなたは、その最期にも拘わらず、この世で一番幸せな女性だったのではありませんか。あなたを真剣に愛した大杉がそうであったように。
伊藤野枝(1895~1923)という女性を人生の先輩に持てたことは私たちの大きな誇りです。あなたの情熱と行動は、私たちに衝撃と勇気を与え続けてくれることでしょう。
【付記】
近年、大杉らの殺害犯人は甘粕ではないという説得力ある説が発表されている(『甘粕正彦 乱心の曠野』 佐野眞一著、新潮文庫、2008年)。
【参考文献】
・『美は乱調にあり』 瀬戸内晴美著、角川文庫、1966年
・『諧調は偽りなり』 瀬戸内晴美著、文春文庫、1984年