『怒りの葡萄』を薦めてくれた女子大生との会話・・・【情熱の本箱(399)】
英米文学専攻の女子大生Aから薦められた『怒りの葡萄』(ジョン・スタインベック著、伏見威蕃訳、新潮文庫、上・下)を読んでみた。読後のやり取りは下記のとおり。
●A=なかなかの力作でしょう?
●E=1930年代のアメリカ大恐慌期のジョード一家の物語だけど、現代にも通じる話だね。
●A=スタインベックは、この作品で何を言いたかったんでしょうね?
●E=砂塵嵐や旱魃のために故郷を追われるという苦境に陥った家族の絆、仲間の絆の大切さを描きたかったんじゃないかな。
●A=私が女性だからか、家族を力強く引っ張っていく「お母」が印象に残っています。
●E=そうそう、肝っ玉母さんが逆境下の家族を束ねる要になっているね。家族でも組織でも、こういうリーダーがいるか否かは重要なことだね。
●A=一家と同行する元伝道師のケイシーは、イエス・キリスト的役割を担わされているという説がありますけど。
●E=搾取される側に立って、搾取側と戦い、撲殺されてしまうというところは、確かにイエス的だね。さらに言えば、この物語全体がモーセに率いられた出エジプトをなぞっているという説もあるね。それから、逃げ出した人々を東部から希望の地・カリフォルニアへ運ぶ、アメリカ大陸を横断する国道66号線が真の主人公だという見方もあるね。
●A=次から次へと不幸に襲われても、希望を感じさせる物語の終わり方から、『風と共に去りぬ』の最終場面を思い浮かべてしまいました。
●E=スタインベックは、逆境にある人々を励ましたかったのだろうね。
●A=臨場感を出すために、スタインベックは、わざと野卑な言葉遣いで表現していますね。
●E=その野卑な表現の一方で、大きな流れを示す部分では端正な文章を用いるというように、文体を巧みに使い分けているね。ちょっと読んでみるよ。<おおぜいの渡りびとの自動車が、何台となく脇道から這い出して、アメリカを横断する偉大な国道に乗り、その渡り路で西部を目指した。昼間には西へ向かう虫けらみたいにあわただしく動き、夜の闇に捕らわれると、雨露をしのげ、水場があるところの近くに、虫けらみたいに寄り固まる。彼らは寄る辺なく、惑っていて、だれもが悲しみと不安と敗北の地からやってきて、これから行く場所がどういうところなのかもわからないので、寄り添い、打ち明け話をして、暮らしと食べ物を分かち合い、新しい土地に抱いている期待を語り合う>。スタインベックの作家としての力量を感じさせるね。君が薦めてくれたおかげで、何十年も敬遠していた『怒りの葡萄』を読むことができて、よかったよ。ありがとう。これからは、皆に、『怒りの葡萄』を読め、読めと言う側に回るよ。