リーダーの発想と行動に関する一章・・・【リーダーのための読書論(3)】
暴風雪が荒れ狂う暗夜、零下20度の山中で道を見失ってしまったとき、あなたは正気でいられるだろうか。
明治35年1月、厳寒の八甲田山の雪中踏破訓練に挑んだ青森第5連隊は、参加者210名のうちの実に95%に当たる199名が凍死するという悲惨な結果を招いてしまった。一方、同一コースに逆方向から挑戦した弘前第31連隊が1名の犠牲者も出さずに踏破に成功したという事実は、私たちにいろいろなことを考えさせる。
第5連隊を率いた神成大尉(小説では神田大尉)と第31連隊を指揮した福島大尉(小説では徳島大尉)はどちらも優秀な将校と折り紙が付けられていたのに、雪中行軍の結果にこれほど大きな差が出てしまったのはなぜか。この問いに対する答えは、『八甲田山死の彷徨』(新田次郎著、新潮文庫)の中で解明されているが、それぞれのリーダーの判断と行動がもたらした失敗例と成功例が、これほど対照的に鮮やかに描かれた例をほかに知らない。
リーダーの判断(発想)と行動に厳しさが求められるのは、その結果が即、本人のみならず部下をも直撃するからである。八甲田山の事件は極端な例としても、いつなんどき、部下の将来を左右しかねない場面に遭遇するかわからないリーダーとしては、日頃から発想力と行動力に磨きをかけておくべきだろう。
リーダーが自らの発想と行動によって新しい活路を拓いていけるかは、その人間が哲学を持っているか否かに懸かっている。哲学というと難しく聞こえるが、基本的な精神あるいは考え方と言い換えてもいいと思う。この哲学を身近なものとするには、フランスの哲学者アランの著作をひもとくに限る。高校の哲学教師として生涯を送ったアランは、決して堅苦しい哲学者ではなく、哲学者には珍しく行動を重視した人物である。
「警視総監は、私の好みから言えば最も幸福な人間である。なぜか。彼は絶えず行動しているからである。しかも絶えず新しい予見できない条件の中で行動しているからである」という『幸福論』(アラン著、神谷幹夫訳、岩波文庫)の一節はよく知られている。アランは、賢明な人と愚かな人の違いは行動するかしないかの違いだとも言っている。賢明な人はまず行動し、行動しながらさらに有効な行動を探す。愚かな人は初めから行動しない。あるいはちょっとやってみて、うまくいかないと言ってすぐに投げ出してしまうというのだ。アランは私たちに、忍耐強く継続的に行動することを勧めている。
1914年、英国の探検家アーネスト・シャクルトンはエンデュアランス号に乗り、世界初の南極大陸横断に挑戦するが、南極の分厚い氷塊に閉じ込められてしまう。船を失い、氷上をさまようが、2年間の苦難を乗り越えて、シャクルトンはついに27名の隊員全員を無傷で連れ帰ったのである。
どんなに絶望的な状況下にあっても、隊員に生きて帰れるという希望を与え続けたシャクルトンのリーダーシップは、『そして、奇跡は起こった!――シャクルトン隊、全員生還』(ジェニファー・アームストロング著、灰島かり訳、評論社)に詳しい。
「探検隊員を求む 至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の長い月日。絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と称賛を得る」――ちなみに、これがシャクルトンの求人広告であった。
戻る | 「リーダーのための読書論」一覧 | トップページ