榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

一次史料から導かれた本能寺の変の真実――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その42)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(129)】

【読書クラブ 本好きですか? 2024年3月26日号】 あなたの人生が最高に輝く時(12))

●『信長政権――本能寺の変にその正体を見る』(渡邊大門著、河出書房新社)

信長政権――本能寺の変にその正体を見る』(渡邊大門著、河出書房新社)は、織田信長は実際にはどういう人物であったのか、信長政権とはどういう性格の政権であったのかという検討を通じて、本能寺の変の真実に迫ろうと挑んだ意欲作です。

著者は、信長を歴史的革新者と位置づける論調に異を唱えています。「旧来の信長像は『中世的権威を否定』した超人的な人物として描かれてきた。一言で言うならば、その政策なども含めて『革新性』が強調されてきたきらいがある。それは、将軍や朝廷との関係に関しても同じであり、彼らに代わる権力・権威として天下統一を図ろうとしたように考えられもした。あるいは、そうあって欲しいと期待されていたかもしれない。ところで、近年の研究ではそうした信長像が払拭され、新たな信長像が提供されている」。

明智光秀が本能寺の変を起こしたのはなぜかについては、怨恨説、左遷説、野望説、信長の非道阻止説、四国説、黒幕説など、それこそ種々雑多な説が提出されています。著者は、このうち比較的有力と見做されている怨恨説、左遷説、信長の四国政策変更説、将軍・足利義昭黒幕説、朝廷黒幕説を取り上げ、綿密な検証によってこれらを退けています。

本書刊行後の2014年6月23日に発見が発表された「石谷家文書」中の長宗我部元親が光秀の重臣・斎藤利三に宛てた書状について、四国説を補強するものだという意見があります。しかし、本能寺の変の12日前に元親が信長に恭順の意を示している内容なので、却って四国説が成り立たなくなる一次史料と、私は捉えています。本書の出版後のことなので、当然、著者はこの文書には触れていませんが、私と同意見でしょう。

著者の研究の基本方針は、一次史料重視です。「一次史料が古文書・古記録といった同時代史料であるのに対して、二次史料は後世に編纂された史料のことをいう。たとえば、軍記物語、地誌、家譜、系図、覚書などである。それらは執筆者の主観や勘違い、記憶違い等々の可能性があるので、利用に際しては注意が必要であり、慎重でなくてはならない。また、成立年が早い、執筆した人物が信頼できるなどは、二次史料の信憑性を担保したことにはならないのである。たとえ信憑性の高い二次史料であっても、一次史料を中心にして論を展開するのがセオリーである」。

著者は、検証結果を踏まえて、このように結論づけています。「光秀のような有能な人物が、個人的な感情から本能寺の変を起こしたとは考えにくい。むろん人間であるので感情はあるに違いないが、やはり勝算を天秤に掛けたうえで、彼なりの合理的な判断を下し行動に移したと思われるのである。あくまで感情的なものは、副次的なものに過ぎない。中でも(信長が僅かな手勢のみで本能寺に宿泊すること、織田家の諸将が京都から離れていることなどの)情勢分析は、必要不可欠であったと考えられる。その点において、(怨恨説などの諸説が論拠とする)二次史料の記述は冷静に見直す必要がある」。今なら信長を討ち果たせると考えた時、いくら戦功を積み重ねても、いつ何時、独裁者・信長の心一つで失脚するか抹殺されるか分からないという不安感、恐怖心が光秀の背中を強く押したのでしょう。

本能寺の変の謎に肉薄した本書の結論は、一見平凡に見えるかもしれませんが、人間心理の襞に深く分け入ったものと、私は考えています。