一つの臨床試験が日本のがん薬物療法の転換点となった――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その174)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(261)】
●『N・SAS試験――日本のがん医療を変えた臨床試験の記録』(小崎丈太郎著、日建メディカル開発)
『N・SAS試験――日本のがん医療を変えた臨床試験の記録』(小崎丈太郎著、日経メディカル開発)は、患者、医師、製薬企業の社員、CRO(Contract Research Organization、医薬品開発業務受託機関)の社員たちに、多くのことを教えてくれる。
N・SAS(National Surgical Adjuvant and Study)試験で中心的な役割を果たした渡辺亨(当時・国立がんセンター中央病院)が、こう述べている。「N・SAS試験とは乳がん、大腸がん、胃がんの手術後の再発予防を目的に使用されていた抗がん剤UFTの有効性を科学的に証明した臨床試験である。この試験の意義は、一つの薬剤の有効性が証明されたという以上の足跡を日本のがん医療に残した。客観的な症例登録、文書を通じた患者への入念な説明、病理医の参加、製薬会社(大鵬薬品)から独立したデータセンター(CROのイーピーエス)の活用などが、この試験を通じて、日本に導入された。日本の抗がん剤の臨床研究は、この試験の以前と以後では明らかに質が異なるものへと変貌し、現在に続いているといえる」。すなわち、N・SAS試験は、その後の日本の臨床試験の標準となる「医薬品の臨床試験の実施の基準(GCP=Good Clinical Practice)」を先取りしていたのである。
10年に亘ったN・SAS試験のプロトコールの概略と結果を簡単に見ておこう。「術後の乳がん患者を対象にしたN・SAS‐BC試験では当時、世界的な標準治療であった注射薬剤の3剤組み合わせであるCMF(シクロホスファミド+メソトレキサート+5‐FU)とUFTが比較された。結腸・直腸がんを対象にしたN・SAS‐CC試験と胃がんを対象にしたN・SAS‐GC試験では、手術だけの患者と手術後にUFTを使用した患者群との比較が行われた」。「乳がんでは、当初の目標だった再発せずに生きる期間(無再発生存期間)でUFTとCMFは同等という結果が出た。つまり、注射薬のCMFと飲み薬のUFTが同じ治療成績を上げることができた。直腸がんでは、UFTを使った患者が手術だけの患者に比べて長く生存できることが明らかになった。胃がんでもUFTを手術後に使用すると生存期間が延長されることが確認された。いずれも、UFTの勝利に終わった」。
N・SAS試験はスムーズに成果が得られたという印象を持たれかねないが、それはとんでもない勘違いである。そもそも、厚生省(現・厚生労働省)が大鵬薬品にこの臨床試験の実施を迫った背景には、●1993年に起こったソリブジンの薬害事件への反省、●1989年になされたホパテン酸カルシウムを初めとする脳循環改善剤、脳代謝賦活剤の承認取り消しへの反省、●欧米において擡頭しつつあった、大規模な臨床試験を実施し、きちんとしたエヴィデンスを確立して医療に反映させようというEBM(Evidence-Based Medicine、科学的な検証を経た証拠に基づいた医療)の動きへの対応、●当時の薬剤の中で最も売れていた大型医薬品のUFT潰しの意図――があった。
その上、この臨床試験を厚生省に提案した西條長宏(当時・国立がんセンター中央病院薬効試験部長)は、「科学的に効果の証明されていない薬剤を使うことは犯罪的行為である」という考えを持っていたのである。そして、この臨床試験の中核を担う医師たちは、乳がんではUFTが対照のCMFに負けるだろうと予測していたのである。阿部薫(当時・国立がんセンター総長)の狙いは、術後補助化学療法としてのUFTの有用性を検証するというよりも、市販後臨床研究の標準モデルという樹木を日本国内に植えることにあったのだ。
大鵬薬品にとっては、この臨床試験で負けという判定が下されることになれば、大変なことになる。ドル箱商品を失うだけでなく、企業の存続さえ危うくなるからだ。それに、試験発足後の2年間は国家プロジェクトとして実施するが、その後は大鵬薬品が引き継がなければならないため、同社が膨大な経済的および労力的負担に耐えられるかという問題もあったのだ。この自社の命運が懸かる試練を乗り切るために、大鵬薬品は一木龍彦、高木茂、甘利裕邦という精鋭を投入する。これは、医薬品の臨床研究統計学の第一人者であり、N・SAS試験のキーパースンとして基本設計に深く関わることになる大橋靖雄(当時・東京大学医学部疫学・生物統計学教授)のアドヴァイスによるものであった。
臨床試験の質を担保するためには、その仕事を担う専門家集団が必要だと、大橋は考えていた。そこで、中国から国費留学生として日本に留学し、大橋のもとで東大・大学院生であった厳浩が設立したイーピーエスに白羽の矢を立てたのである。イーピーエスでN・SAS試験に関与した長家光子が重視した、試験の品質管理に欠かせないSDV(Source Document Verification、医療機関から提出されたデータとカルテの照合作業)の面でも、N・SAS試験はその先駆けとなったのである。
著者が述べているように、「レベルが高いエビデンスを得るためには、医師、行政、製薬会社、患者、そして、臨床試験の専門家の参画と相互監視が必要となる」のである。
現在のがん化学療法では、遺伝子変異の有無、遺伝子発現パターンによる患者の絞り込みが欠かせないが、臨床試験の歴史におけるN・SAS試験の先駆的な意義は、依然として輝きを失っていない。「何よりも大きな成果は、臨床試験のプロトコールが理解できなければ、日常診療でも抗がん剤を使うべきではないという認識を医師らに植え付けたことだろう」という著者の指摘は、ずしりと重い。そして、「臨床試験の設計とは次代の医療の設計にほかならない」という言葉が、強く印象に残る。