才色兼備の財閥令嬢か、肉親からの虐待に脅え、男を渡り歩く新入社員か、あなたなら、どちらの女性を選ぶ?――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その243)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(330)】
●『一瞬の光』(白石一文著、角川文庫)
『一瞬の光』(白石一文著、角川文庫)の著者、ストーリーテリングの魔術師である白石一文に騙されてはいけません。
第1に、この作品は超エリート男性の自慢話だと騙されてはいけません。
「『雲上人』だの『金時計』、『カミソリ』、『社長の懐刀』だのと揶揄されるようになって数年になる。殊に五年前に経営企画室に移り、昨年室長代理という異例中の異例とも言える抜擢を受けてからは、そうした声は社内中に鳴り響くようになってしまった。そしてこの四月、人事課長に就任し、周囲の目は一種凄味を帯びてきた感すらあった」。「私」こと橋田浩介(38歳)は、東大法学部卒後、日本最大にして世界有数の重工業メーカーに入社、15年が経過し、このように恵まれた状況で仕事に打ち込んでいます。
しかも、妬ましいほど女性にもてるのです。「恭子と出会う以前の私は、世間並みからすれば女性の出入りの激しい方だったと思う。若い頃から女性には人気があった。当たり前と言えば当たり前で、学業も図抜けていてスポーツも万能だった。それに瑠衣にも言われたが『美形』だった」。
第2に、この作品は超大企業における血みどろの派閥抗争が描かれた企業小説だと騙されてはいけません。
第3に、この作品は真の愛とは何かを追求した恋愛小説だと騙されてはいけません。
橋田は、数多くの女性と関係を持つが、重要な女性は3人に絞られます。
1人目は、結婚直前までいきながら、橋田よりも不倫相手を選んで去っていった同僚の足立恭子(34歳)です。
2人目は、橋田が仕える実力社長の義理の姪かつ財閥令嬢で才色兼備の藤山瑠衣(28歳)です。
3人目は、肉親からの虐待に怯え、男を渡り歩く、危なっかしいこと極まりない別会社の新入社員の中平香折(19歳)です。
「きっとそうだろう、と私は思う。瑠衣と共に歩けば長く静かな幸福が手にできただろう。互いに慰め、安らぐあたたかな家庭があったのだろう。だが、香折とのあいだには一瞬一瞬のかけがえのなさがあった。たとえ私にとって安らぎでなかったとしても、私の人生に豊かさを与えなかったとしても、香折と共にいるその瞬間瞬間に、私は生の実感を掴むことができる」。
才色兼備の財閥令嬢か、肉親からの虐待に脅え、男を渡り歩く新入社員か、あなたなら、どちらの女性を選びますか?
この作品は、○○小説という範疇に単純には収まり切れない、恐るべきマグマを秘めていることを思い知らされました。