読書好きには堪らないエッセイ集・・・【山椒読書論(434)】
『書斎の宇宙――文学者の愛した机と文具たち』(高橋輝次編、ちくま文庫)の編者が、「書斎は著者たちの聖域であり、編集者や読者にとっては、隠された秘密の空間なのだ。知りたくても、なかなか知ることができない、という欲求不満が、本書に収録した(作家たちの)随筆やエッセイ類を蒐め始めた動機かもしれない」、「本書は、類書とは一味違って、もっぱら活字だけで、筆者たちの文章の妙技、豊かな表現力によって、書斎空間や『もの』たちのイメージを鮮やかに喚起させるアンソロジーとなっていると思う」と述べている。
水上勉の「小さな仕事机」というエッセイは心に沁みる。「じつをいえば私は机の大きな方が好きだった」が、師の宇野浩二の死後、遺族から贈られた机が「まことに、小さな学生机ようのものであること」に心を打たれ、また、谷崎潤一郎邸を訪れた際、松子夫人から谷崎の机を見せてもらったのだが、「息を呑んで、谷崎文学がこのような小さな机で・・・と思ったものだ」と綴っている。
「大きな仕事をした人々の机は、小さかった。こんなことに感じ入って、帰宅したが、また自分の書斎のバカでかい机にはじらいがたかまり、いっそう、周囲に辞書などを積みかさねて、仕事する場所を小さくちぢめてみたように思う。小さくちぢめてくると、ろくな仕事をしていないにしても、その仕事が、ひそかな爆薬つくりのような楽しみもしてくるのは妙だった」。私の書斎の机は、女房が中学時代から使っていたものなので、この文章がよけい心に響いたのかもしれない。
小檜山博の「追っかけ」と「原稿用紙、その後」は胸が熱くなる。「ある日、札幌駅と時計台の中間あたりにある難波商店という古びた文房具屋へ入って見た原稿用紙の前で立ちすくんだ。普通のB4判なのだが罫線の色が淡い茶で、乳白色の紙の色や質感とともに紙が眼へ反射してくる光沢のやわらかさが、ぼくの神経のありようにぴったりなのだった。それを20冊買った」。「2カ月くらいたって2回目に行って30冊買ったとき、そこの中年の女性が『こんなにたくさん買ってどうするんですか』と聞いてきた。まだ文学賞などと無縁だったぼくは小声で『ちょっと小説を書いてるもので』と言った。ていさい悪かった。するとその女性は『それは凄い、頑張んなさい』と言って、そばの事務員にぼくの買った原稿用紙代を二割引きにしてやるようにと言ったのだった。ぼくは鄭重に礼を言って店を出た。体の芯を熱い塊が通った」。
小檜山はずっとその店で原稿用紙を買い続けるのだが、32年後、難波商店は倒産してしまう。小檜山がこのことを雑誌に書いて暫く経った頃、電話がかかってきた。「60年前に父から譲られた店をやってきて、いまこんなふうにしてしまって、どういう意味があったのかとずっと悩み苦しみましたけど、あなたが書いてくださったあの文を読んで肩の荷が降りました。友人は、わたしがした文房具屋は一人の作家という文化を育てたことだと言ってくれるんです。あの一つの文を書いていただけたことだけで、私が60年間あの店をやってきた価値があったと気づいたんです。ありがとうございました」と、涙声で。
天野忠の「書斎の幸福」に印象深い一節がある。「高橋義孝氏の随筆の中にこんなのがある。『古いノートを眺めていて思った。30年も昔のノートの頁を繰ることが出来るというようなことが、実は人生の幸福というものではあるまいかと。幸福とは、そういう静かな損にも得にもならない、少しばかりもの悲しく、しかしまた少しばかり満ち足りたような感じを伴った何かではあるまいかと』」。この感じ、分かるなあ。