榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

読む力を強化すれば、書く力、伝える力も強化されてくる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(712)】

【amazon 『知の操縦法』 カスタマーレビュー 2017年3月30日】 情熱的読書人間のないしょ話(712)

落ちたツバキの花が赤い絨毯のようです。白いユキヤナギが一列に並んでいます。いろいろな色のパンジーが咲き競っています。モクレン、ハクモクレンも頑張っています。因みに、本日の歩数は11,577でした。

閑話休題、『知の操縦法』(佐藤優著、平凡社)には、知に関する役立つことに止まらず、興味深いことがいろいろ書かれています。

スマートフォン愛好者の危険性について、こう警告しています。「パソコンしか持っていない、もしくはパソコンとスマートフォンを併用しているが、主にパソコンを利用している人は『読む力』を維持することができている。これに対してスマートフォンしか持っていないか、パソコンを持っていても使わずにほとんどスマートフォンから情報を得ている人の『読む力』が落ちているとの感触を私は得ている。それはスマートフォンを多用する人が、LINEをはじめとするSNS(ソーシャル。ネットワーキング・サービス)、SMS(ショート・メッセージ・サービス)をもっぱら利用することと関係している。SNS、SMSでは、限られた語彙しか用いられず、単文、体言止めが多い。しかも絵文字やスタンプで感情を表現する。ここで用いられているのは話し言葉だ。学校や職場では複雑な日本語を用いていても、日常的には簡単な放し言葉しか用いていないと、急速に『読む力』が退化する。『読む力』は表現力の基本だ。ネット環境が充実した結果、知的退行が起きている」。「LINEで瞬時に返信することばかりしていると、1000語くらいの単語数でしかコミュニケーションをしなくなるので、長いものや難しいものを読めなくなってしまうし、他人に伝わる文章を書くこともできなくなります」。読む力が衰えると、書く力、伝える力も衰弱していくというのです。裏を返せば、読む力を強化すれば、書く力、伝える力も強化されてくるということです。

最近、よく耳にする「反知性主義」を、著者はこのように定義しています。「客観性、実証性を軽視もしくは無視して自分が欲するように理解する態度」。

小保方晴子事件は現代の錬金術師だと喝破しています。「心理学者カール・ユングの『心理学と錬金術』を読めば、小保方晴子さんの事件がなぜ起きたかのかもよくわかります。何かを生み出すときには、まず『ひらめき』が必要になります。この『ひらめき』、無意識の層を共有すると、錬金術師の間で非常に強い共同主観性ができます。第一級の理研の知識人がSTAP細胞があると信じていたのも、錬金術と同じ構成だからです。まず実験が成功して、『ある』ことをみんなで共有すればいいのです。優れた錬金術師は周囲にいる人の心に影響を与え、磁場を変えてしまうことができます」。

イエスの復活にも言及しています。「古代では、目の前にあるものはただ『ある』という素朴実在論で対応すればよかったので、夢で見たものも、実在することだと考えていました。『源氏物語』に出てくる六条御息所の生霊や聖書に書かれているイエス・キリストの復活も、夢を見たということです。でも、これは観念論の立場では説明できないので、現代の我々は共同主観性や集合的無意識という言葉でどうにか説明しようと苦労するのです」。

血液型占いも槍玉に挙げられています。「似非科学は現在でも生きており、日本で定期的にブームになる血液型占いは、その最たるものです。ヨーロッパやアメリカでは血液型を知らない人のほうが多いぐらいで、血液型と性格を結びつけるのは、ナチスの似非科学と近い考え方なので、受け入れられません。ヘーゲルの考察は、こういった似非科学や人種主義への強力なアンチテーゼになっています」。

「何かを学ぶときには、まず、型にはまった知を身に付けることです。最初から型破りなことをするのは、ただのでたらめでしかありません。基礎がないところには応用もないし、基礎をおさえていないと、間違った方向に進んでいってしまいます」。先ず型にはまった知を身に付けよというのです。

「多元的で複線的な思考を身に付けるためには、知の地盤、モノの考え方を作っていかなければならず、そのためにはタテの歴史をおさえていなければいけません」。知の系譜を知ることの重要性を強調しています。

「読者のみなさんは哲学を専攻する学生や研究者ではなく、実社会で生きている人たちがほとんどだと思いますので、高校の倫理の教科書を読み返すといいでしょう。『もういちど読む山川倫理』はよくできているし入手しやすいのでお薦めです」。私自身も、この教科書によって世界の思想史を俯瞰することができました。

著者が最も重視する哲学者、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについては、こう説明しています。「ひとつのことが立場によって違って見えるというのは、まさにヘーゲルの世界です。ある当事者にはこう見えて、また別の当事者からはこう見えて・・・と、つねに複線的な思考を行うことが、ヘーゲルの物の見方なのです。・・・ヘーゲルは、人間と社会が自由になるためにはどうすればよいかを模索して、キリスト教に限界を感じ、哲学の道に進んだ人です」。「なぜヘーゲルのように難しくて、資格や語学みたく人生に直接的に役立たない面倒くさい本を読み解いていかねばならないのかと思う人もいるかもしれません。しかし、ヘーゲルのような古典こそ、現実の出来事を具体的に見ていくうえで役に立つのです。実用的なノウハウは使える用途が限られているので、そのような断片的な知識をいくら身に付けても、長期的には役立ちません。根源的な知を身に付け思考の土台を作り、実際に役に立つところまで落とし込んでいくことが求められています」。

弁証法は、このように解説されています。「弁証法とは、基本的には対話をベースとして真理を得ていく方法です。矛盾や対立、否定といったものを、対話で乗り越えていくのです。もともとは、相手の主張を論駁するためのものだったのを、ソクラテス、プラトンが対話をとおして真理を探究していく生産的なやり方として使い始めました」。対話をしながら思考を発展させていくのが弁証法だというのです。

「要約と敷衍が上手なのが、池上彰さんです。学術的な用語や難しい世界情勢を、一般人に理解できる説明をするので、池上さんのテレビの視聴率は高いし、本も売れるのです」。弁証法的な訓練をしていく上で重要な「要約」と「敷衍」の技術の習得を勧めています。

佐藤優がいいものはいい、悪いものは悪いとはっきりと仕訳している本書は、読み進めていくうちに、知を身に付ける方法が学べるユニークな一冊です。