釈迦が説いた原始仏教より、大乗仏教が優れているというのは、本当か・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1001)】
東京・京橋のギャラリーくぼたで開催中の「見取功・井手口盛哉 油彩と写真の二人展」は、油彩と写真が絶妙な雰囲気を醸し出していて、大いに刺激を受けました。因みに、本日の歩数は11,981でした。
閑話休題、『思想としての近代仏教』(末木文美士著、中公選書)という仏教に関する専門的な論文集を手にしたのは、本書の中で大乗仏教について論じられていると知ったからです。私は、大乗ではなく、釈迦が説いた原始仏教を支持する立場なので、大乗がどのように扱われているのか興味を抱いたのです。
「大乗仏教ということを正面から掲げて(原始仏教に対する)その優越性を主張し、差別化を図ろうとするところに、日本の仏教の特殊性があるとも言えるであろう。それは、歴史的には『大乗戒』を打ち出した最澄にまで遡るところがあるが、他面では近代になって新たに構築されたところも小さくない。近代において大乗仏教が問題として浮上したのは、大乗非仏説論をきっかけとする」。すなわち、大乗側としては、大乗は釈迦が説いたものではないという意見に反論する必要が生じたのです。
「村上(専精)の理解は、今日の仏教界でもほぼ踏襲されている。大乗は釈迦仏が直接説いたものではないが、仏の深い悟りの世界を明らかにしたものと解することで、大乗が仏教たる意義を見出すのである。即ち、大乗非仏説論がただちに人間仏陀と原始経典の優越に結びつかず、逆に『開発的仏教』であるところに大乗の優越を見出すことになる。即ち、大乗非仏説論は大乗否定ではなく、逆に大乗仏教の護教論として展開するのである。この点で、日本の仏教学は他(国)と異なる独特の展開を示すことになる」。「開発的仏教」とは、釈迦滅後に発達・発展した仏教を意味しています。
「村上の議論に従う限り、それは確かに釈迦仏の教説の『開発』的な発展として見ることはできるが、釈迦仏の説法そのものとは言えず、大乗を釈迦仏に結びつけようとする護法論としては弱いと言わなければならない」。まさに、そのとおりです。
「平川(彰)の説は決して大乗を単純に在家教団とするものではなく、出家・在家を含めて部派教団と異なる菩薩ガナを形成していたとするものである。平川の説は、後に『初期大乗仏教の研究』に大成されるが、大乗仏教の成立史研究を従来の思想内容的な教理論から、社会史的な教団論に切り替えたということで、大きな転換となった。・・・このように、従来の教理史中心の仏教研究が教団史、社会史へと大きく重点を移したのが、戦後仏教研究の特徴である」。「おそらくは、歴史上の仏陀が説いたか否かということよりも、大乗仏教の成立史が明らかにされ、それによって大乗の優れていることが証明されることで、大乗の護法論が成り立つということではないかと思われる。即ち、たとえ歴史上の仏陀が説いたことではなくても、仏陀の精神を発揮したものであれば、それは『仏教本来の立場に契ふ』と言えることになる」。私には、釈迦の原始仏教に対する大乗の優越性をアピールしたいがための悪足掻きに見えます。
「釈尊の教えを正しく伝えた原始仏教の時代は、釈尊没後100年ほど続くが、やがて部派に細分化され、アビダルマの煩瑣教学に陥って現実を遊離した。それをもう一度釈尊自身の本来の教えに戻そうとして大乗仏教の運動が起った。そこで初期の大乗経典が生まれ、それを理論化したのが龍樹である。日本の仏教はそのような初期大乗経典と龍樹の思想を受けているので、表面的な形態は変わっても、釈尊本来の精神を受け継いでいる。これは日本独自の仏教史観であり、村上から宮本(正尊)などを経て、戦後の仏教学において洗練されたものと言うことができる。一見客観的な歴史的展開を述べているように見えながら、じつはそれによって日本仏教が正当化されるという護教的な枠組みが、今日になってみれば明らかである」。著者の指摘するとおりです。釈迦が言っていないことを、あたかも釈迦はそう言いたかったのだと強弁する、こういう態度を牽強付会というのではないでしょうか。