榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

アガサ・クリスティーの執筆の楽屋裏を覗く楽しみ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1598)】

【amazon 『アガサ・クリスティーの秘密ノート』 カスタマーレビュー 2019年9月2日】 情熱的読書人間のないしょ話(1598)

チャバネアオカメムシの幼虫、オオホシカメムシ、マメコガネ、ササキリの幼虫、ハネナガイナゴ、ショウリョウバッタをカメラに収めました。ツーンと鼻を刺激する甘酸っぱい匂いがするので覗いたら、樹液にサトキマダラヒカゲが群がっているではありませんか。因みに、本日の歩数は10,574でした。

閑話休題、『アガサ・クリスティーの秘密ノート』(アガサ・クリスティー、ジョン・カラン著、山本やよい・羽田詩津子訳、早川書房・クリスティー文庫、上・下)は、アガサ・クリスティー・ファンには堪らない本と言えるでしょう。熱烈なクリスティー・ファンであるジョン・カランが、クリスティーの住居に残されていた73冊の手書きノートの乱雑な文字を4年かけて解読した成果だからです。

カランのおかげで、私たちはクリスティーの執筆の楽屋裏を覗くことができるようになりました。「『スタイルズ荘の怪事件』のエンディングは、最初の原稿ではどうなっていたのか? 『そして誰もいなくなった』の登場人物は、もともとは何人にするつもりだったのか? 『ABC殺人事件』のAの殺人の舞台として最初に候補に挙がっていたのはどこか? これまで知らなかったことがいっぱいわかって、ワクワクしてくる」。

「アガサ・クリスティーの作品のひとつひとつが専用のノートを持っているというのが、筋の通った考え方であろう。だが、まったく違う。1冊のノートがひとつの作品だけに使われているケースは、わずか5例しかない。・・・クリスティーのノートに見られる、もっとも興味深くて、そのくせ苛立たしい特徴のひとつは、秩序に欠けることで、とくにひどいのが日付である。ノートは73冊もあるのに、日付が入っているのはわずか77例。・・・未刊に終わったアイディアや、それ以上進まなかったアイディアとなると、推測はほぼ不可能だ。この混沌たる状態が、さまざまな理由によって、なおさらひどくなっている。理由その1。ノートの使い方が行き当たりばったり。クリスティーはノート(正確には、クリスティー自身がいっているように、つねに持ち歩いている半ダースほどのノートのひとつ)を開き、空白のページを見つけて書きはじめる。空白のページが見つかりさえすればいいのだ。たとえ、その両側のページがすでに埋まっていようとも。そして、まだまだ複雑さが足りないというかのように、ノートをひっくり返し、賞賛すべき節約精神を発揮して、今度はうしろから書いたりしている」。

「理由その2.未完成に終わった短篇のためのメモで埋まったページがたくさんあるため、ガイドラインにすべき刊行時期がついていない。ときには、すぐ前とうしろのメモから推測できることもあるが、この方法もまったく欠点がないわけではない。ノート13の内容をじっくり見てみると、でたらめな年代順になっていることがわかる」。

「理由その3.作品のためのメモが書かれたのが出版より何年も前というケースが数多く見受けられる。ノート31に記された『招かれざる客』のもっとも初期のメモには、『1951』という年号がついている。つまり、初演の7年前である。・・・はっきりと年代が書かれたページのあとに、何ページかが続いていても、同じ時期に書かれたものと断定することはできない」。

「ノートの手書き文字について論じる前に、これらが備忘録として書かれたメモや走り書きであったことを強調しておくのが、フェアというものだろう。クリスティー本人以外に読む者はいないわけだから、筆跡をある程度の水準に保とうという努力をすべき理由はどこにもなかった。これらは個人的な日記であり、クリスティーの思考を明快にすることだけを目的に書かれたのだから」。

この一節を読んで、笑いが込み上げてきました。私もかなりのメモ魔であるが、乱暴な走り書きが、後で、どうにも判読可能なことがしばしばあるからです。

クリスティー作品の中で、私がとりわけ気に入っている『無実はさいなむ』が、高く評価されているので、嬉しくなりました。「ノート28には、ほぼ40ページにわたってこの小説のすべてのメモがある。・・・『これはこの数年で、まちがいなくノンブランドで(=ポアロ物でもマープル物でもない)最高のクリスティー作品である・・・『無実』(=当時はそう呼ばれていた)は古典的探偵小説と犯罪小説の現代的着想を見事に一体化させた作品といえるだろう』。これは1958年5月1日に、コリンズ社が最新のクリスティー作品を受けとったときの熱狂的な意見である。・・・『無実はさいなむ』は、後期のクリスティー作品におけるベストのひとつである。これは古典的な探偵小説とは異なる犯罪小説であり、真実と正義、罪と無実について固い信念を持って描かれている。・・・いつものように創造力を駆使して、アガサ・クリスティーは法的な正義と道義的な正義というむずかしい問題を解決した」。