「敗れざる者」三木清の矜恃とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2323)】
ベゴニア・センパフローレンス(写真1~3)が咲いています。ショウリョウバッタ(写真4、5)、ハネナガイナゴ(写真6、7)、コイ(写真8、9)をカメラに収めました。
閑話休題、『アンブレイカブル』(柳広司著、KADOKAWA)は、戦前の内務省参事官にして、特高警察を一手に掌握し、国内思想問題を管轄するクロサキが狂言回しを務める連作短篇集の体裁をとっています。
多くの読者に愛されたプロレタリア小説を書いた小林多喜二、現実を十七文字で撃ち抜く川柳を自ら体現した鶴彬、良心的な雑誌の誌面作りに尽力していた中央公論社や改造社の若き編集者たち、取調中の過度な暴力や留置所の劣悪な環境が原因で体を壊し、獄中や付属病院で死んでいった大勢の者たち――が描かれています。
とりわけ印象的なのは、三木清が登場する『矜恃』です。
「クロサキが高等文官試験を経て内務省に入省したのは昭和二年――その後のクロサキの官僚としての経歴は、内務省が管轄する特高と治安維持法の歩みにぴたりと重なる。特別高等警察(通称『特高』)は、通常犯罪を扱う一般警察とは別に専ら『思想犯罪』を取り扱うべく設けられた警察組織の一部門だ。設立当初は主に『過激な社会主義運動』が取り締まりの対象だったが、その後、日本共産党がソ連共産党の指示により『天皇制廃止』を党是に掲げるに及んで、矛先を共産主義に転じた。もう一つの伴走者、治安維持法は普通選挙法と抱き合わせの形で大正末に制定。当初はわずか七条のみ、かつ『(この法律は)伝家の宝刀であり、頻繁に用いるようなことはおよそ有り得ない』との注釈付きで成立したものだ。が、クロサキが入省した昭和二年、『京都学連事件』が早速国内初の適用事例となったのを皮切りに、特高と治安維持法を組み合わせた巨大な歯車が回りはじめる」。
「同年三月十五日、初の普通選挙が行われた直後、特高は全国の共産党、労農党など無産政党関係者一千五百人余りを一斉検挙。同時に『緊急勅令』の形で治安維持法が改正され、『目的遂行の為にする行為』という曖昧な文言が加わったことで、治安維持法と特高の守備範囲が一気に広がった。年を追うごとに検挙者は増加する。昭和三年の治安維持法違反による検挙者数は三千四百名。翌年はされに四千九百名に跳ね上がる。満州事変が始まった昭和六年には、検挙者数はついに一万人を超えた。検挙実績に伴い特高組織は年々膨張する。『取り締まりに必要』という理由を付せば、予算は要求額から一銭も削られることなく満額支給された。機密費も取り放題だ」。
「数字を目の当たりにして、クロサキは初めて戦慄を覚えた。日本国内では治安維持法を根拠とする死刑判決は、これまで一件も出ていない。『死刑判決ゼロ』と『死者千数百名』の間に存在するのは『特高の取り調べ』と『拘置所の環境』だ。万が一、後で問題になった場合、特高及び拘置所を管轄する内務省の責任が問われることになる」。
昭和二十年三月二十八日、クロサキの故郷の誉れで、8歳年上の三木清が治安維持法違反で特高に検挙されます。「ふと、子供の頃の記憶が甦った。当時はクロサキがいくら優秀な成績を持ち帰っても、父親は口元に薄く皮肉な笑いを浮かべるだけだった。『どうせキヨシにはかなわん』と面と向かって言われたこともある。その三木清がいま、(取調室で)クロサキの批判に反論することもできず、苦い顔で黙りこんでいる」。
「『無駄な努力に終わるかもしれない。・・・しかし、それでもなお、私は己が持つ力の全てを注いで歴史に参画する自由を、権利を、行使したい。参加した結果が後世『歴史』と呼ばれるのだとすれば、自分が生きているこの唯一の時間、唯一の歴史を、他人任せにしないで能う限りの力を尽くす。その上で、結果は後世の判断に任せる。それが、いまを生きていると胸を張って言える唯一の在り方ではないだろうか』。三木清は正面に向き直り、クロサキの目をまっすぐに見て、――それが、私にとっての唯一の矜恃なのだ。と静かな声で言った。・・・やはり、どうやってもこの人にはかなわない。体ごと振り返り、わけがわからず呆然としている刑事たちに向かって、連れて行け、と短く命じた」。
「治安維持法再犯者である三木清は保釈を受けることができず、豊多摩刑務所に送られるはずだ。看守にとっては『京大はじまって以来の秀才』三木清の名前など何の意味もない。三木清は、蚤や虱や疥癬が蔓延する地獄のようなあの刑務所で単なるアカの一人となる。蚤や虱や疥癬に取り付かれ、血膿にまみれる。痒さのあまり我と我が身を掻き毟り、ベッドから転がり落ち、ある朝死体で発見される。・・・クロサキはそっと息をついた。結局は自分も彼ら(看守たち)と同じだ。三木清を救うために指一本動かす気はなかった。凡庸さの砦に閉じこもれば、己の罪も、卑小さも感じることはない。耳を澄ませても、もう(三木の)足音は聞こえない。また一人、『敗れざる者』が逃れられぬ死に向かって歩み去った」と結ばれています。
自分は、あのような時代環境の中でも、三木のように矜恃を持って生きられるだろうか、そして、クロサキを責められるだろうかと考え始めると、胸が苦しくなってしまいました。