榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「人生は二流のメロドラマ」を具現化した人間悲喜劇ごった煮小説・・・【情熱の本箱(198)】

【ほんばこや 2017年7月9日号】 情熱の本箱(198)

ガープの世界』(ジョン・アーヴィング著、筒井正明訳、新潮文庫、上・下巻)は、著者の「人生は二流のメロドラマ」という考えを具現化した人間悲喜劇ごった煮小説というのが、私の正直な読後感である。

人生の意味を問う高踏的な小説や芸術性の香り高い小説ではなく、小説は読者を飽きさせない二流のメロドラマでいいと開き直り、それを徹底したところにアーヴィングの真骨頂がある。

「(作家、T.S.ガープの担当編集者、ジョン・)ウルフは慎重にやろうとしていた。まえにうっかり、『ベンセンヘイバーの世界』は二流のメロドラマだと思う、と口をすべらしてしまったのである。そのとき、ガープは気にするようすも見せなかった。『いいかね、もちろん、これはすごくよく書けているよ』とウルフはいった。『でもね、なぜかメロドラマなんだ、度がすぎるんだよ』。ガープは溜息をつくと、『人生は』といった。『なぜか、度がすぎるものですよ。人生が二流のメロドラマなんです、ジョン』」。

ガープ出生の異常ないきさつから始まって、33歳で暗殺されるまで、ガープの周辺では、暴力、強姦、暗殺、事故、政治、セックス、浮気、性転換、愛、そして死が、次から次へと竜巻のように渦巻き、津波のように押し寄せてくる。しかも、グロテスクなユーモアの味付けがなされて。さらに、文学論、作家論があちこちで顔を出すという複雑さだ。

私にとって一番印象的なのは、ガープが作家としての自信を失いかけるという苦境にあった時、妻のヘレンが、教え子の大学院生、マイケル・ミルトンと浮気をする場面である。

ミルトンとの浮気がガープにばれ、ヘレンはミルトンに別れを告げる。「『もうおわったのよ、マイケル』。『まだおわっちゃいないよ』と彼はいった。彼のペニスが彼女の額をこすり、睫毛を曲げ、ふと彼女はベッドのなかのマイケルを、ときどき自分のことを荒々しく扱おうとしたマイケルを、思い出した。・・・『いつでも口にくわえてあげたい、でも危険だからって、いってたじゃないか。ここは安全だよ。車は動いていないし、事故なんてありっこないよ』。・・・そのときのマイケル・ミルトンには荒っぽい対し方が許されるように思えてきた。口のなかにくわえて吐き出させてやろう、そうしたら帰ってくれるだろう、と彼女はぼんやりと考えた。男というのは、いったん射精してしまったら、なんとなくすぐ要求を撤回するものだわ。それに、マイケル・ミルトンの部屋での短い経験からしても、それにはそう時間がかからないことをヘレンは知っていた」。

「(車の衝突によって)ヘレンの頭は前方に投げ出され、頭は辛うじてまぬがれたものの、ハンドルの軸のところに首のうしろをしたたかにぶつけた。・・・マイケル・ミルトンのひざが突き上がってきたはずみであろうが、右の鎖骨が折れ、マイケル・ミルトンのベルトのバックルのためと思われるが、鼻梁が横につぶれ、9針縫わねばならなかった。またすごい勢いで口が閉じられたので、歯が2本折れ、舌も小さく2針縫った。最初、血だらけの口のなかになにかが泳いでいる感じだったため、彼女は自分の舌を噛み切ってしまったと思った。だが、頭があまりに痛かったので、いよいよ呼吸しなければならなくなるまで口を開ける気がしなかったし、右の腕も動かせなかった。自分の舌とおぼしきものを左の掌にペッと吐き出してみたとき、もちろん、それは舌ではなかった。マイケル・ミルトンの全体の4分の3に相当するペニスであった」。

ヘレンとミルトンが乗った停車中の車に、ガープの運転する車が衝突してしまい、同乗していた次男の命と長男の右目が失われたのである。

二流のメロドラマ小説に徹したからこそ、本書は大ベストセラーになり得たのだという事実は、文学とは何かという根源的な問題を私たちに思い起こさせる。