榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

司馬遼太郎が、作品を通じて私たちに伝えたかったこと・・・【情熱の本箱(205)】

【amazon 『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』 カスタマーレビュー 2017年9月5日号】 情熱の本箱(205)

NHK・BSで放送されている歴史討論番組『英雄たちの選択』を興味深く見ているが、司会を務める歴史学者・磯田道史の歴史に対する独特の視点・見解に、毎回、驚かされている。

司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(磯田道史著、NHK出版新書)でも、その独自性が遺憾なく発揮されている。

織田信長の独創性と合理主義について。「(司馬遼太郎は)信長は、『すべてが独創的だった』としています。近年の歴史学研究の立場では、信長はもちろん『すべて』が独創的だったわけではなく、室町幕府の機構やあり方に代表される旧来の伝統や慣習も重んじていたという面が明らかになっています。しかし、鉄砲の重視や天守(主)閣の建設、鉄甲船を用いた新戦術、あるいは人材登用の新しさ、本拠地の移転など、他の大名では思いつかないことを次々と繰り出したのは確かで、司馬さんはそうした部分こそが歴史を動かす主要な力であると見るわけです。そして、信長評で最も重要な指摘が『合理主義者』です。人間を機能で見る。それでいて非常に直観的で、美しいものが好きであるという、芸術家のような側面を持っていると司馬さんは指摘します」。信長は意外に保守的であったという近年の説は、もう一つ説得力に欠けると、私は考えている。

国家と軍事力の関係について。「(軍事を)論じるにあたっては、司馬さんの視点、すなわち国家と軍事力の関係、軍事力の暴走と結末をその発生過程から見ていく視点が大切なものになるでしょう。その意味で、21世紀に生きる私たちにとって、この『国盗り物語』は非常に示唆的な文学であると思うのです」。

大村益次郎の合理主義について。「司馬さん自身が、敵味方の戦力の差や戦車や軍艦の性能を比較して論じるのではなく、『精神力で突撃せよ』という非合理的な精神論で戦車に乗せられ、九死に一生を得たわけです。であればこそ、即物合理主義を訴える必要と、それを重んじる哲学を抱くに至ったのです。(信長をさらに発展させたような)その体現者として、司馬さんは大村益次郎に出会いました。非合理的な組織と化した日本陸軍をつくった非常に合理的な人物との邂逅――。それが『花神』という傑作を生み出した原動力だと私は思います」。

「合理主義の権化である大村がつくったもともとの日本陸軍は、必ずしもそう(=不合理がまかり通る状態)ではなかったはずです。陸軍がその誕生時には持っていたはずの合理性はどこへ行ったのだ――という怒りとともに、司馬さんは『花神』を描いたのでしょう。『組織は変質する』というのは、司馬さんの重要な歴史観のひとつです。最初は理想があるけれども、だんだん老化して、おかしなことをおこない始めるという、古今東西、あらゆる組織や人物に言えることです。時代も同じように、だんだん変質してくる。その変質を歴史の動態、ダイナミズムとして、ここに表現したのだと思います」。明治期を描いた司馬の作品からは、戦車隊の将校として死と向かい合った司馬の、愚劣極まりない陸軍に対する沸々と滾る怒りが伝わってくる。

西郷隆盛の無計画性と、坂本龍馬の現実主義について。「一介の素浪人――江戸時代の身分制の価値で言えば一顧だにされない出身の人物――が新しい時代を切り開いていく『竜馬がゆく』・・・」。

「近代国家をつくるうえで『国民』『国民国家』の創出が欠かせないという教えは、勝(海舟)から弟子の坂本龍馬たちへ、さらに多くの日本人にも伝わっていったことでしょう。アジアにおいて自国民の力だけで国民国家への転換を成し遂げた日本は珍しい存在です」。

「司馬さんは、この革命(明治維新)が既存の国家・社会の枠組みを『壊す』ことが先になっていて、どのような国をつくるかという『青写真』がなかったと喝破しています。・・・明治維新において、最大の功績者であると司馬さん自身が評価している西郷隆盛にして、新国家の青写真を持たなかったというのです。司馬さんによれば、西郷隆盛は、わかりやすく言えば『壊し屋』の面が強い人物で、江戸幕府を倒したものの、新政府を発足させるための計画図を詳細には持っていませんでした。つまり、薩摩は王政復古などのクーデターや軍事力の発動でもって、幕府を力で消滅させることについては非常に長けていましたが、幕府がなくなった後で、無政府状態にならないために、新しい政府が何省をつくり、どんな議会を持ち、軍隊はどうするのかといったプランはなかった。むしろそのことを考えていたのは新政府綱領八策を書いたりしていた坂本龍馬のほうだ、というのが司馬さんの明治維新の見方です」。

「一方の龍馬については、最近、司馬さんが言っていたことを裏づける古文書が見つかりました。新政府を発足させて新しい経済システムを導入するには、そのための紙幣を発行しなければなりません。しかし紙幣には新政府が信用にたるという裏づけが必要です。そこで龍馬は福井藩にいる三岡八郎(由利公正)という財政、紙幣発行について非常に詳しい人物に会いに行き、新政府に迎え入れようとします。・・・福井から戻ってきて、『一日も早く三岡さんが来てくれないと政府の財政は一日遅れる』というような内容の手紙を書いています。この手紙の発見からも、司馬さんの新国家を発足させるときの見方が裏づけられます」。

『坂の上の雲』に込められたメッセージについて。「司馬さんが言いたかったのは、まさにそこだと思います。格調高い精神にささえられたリアリズムと合理主義をあわせ持たなければならない――。それができれば、この国があのような愚かな戦争に突入することはなかった。それが『坂の上の雲』のひとつの結論なのかもしれません。・・・(高度経済成長期の終わりが見えてきた)時代に、司馬さんは明治という時代を振り返り、日本人のひとつの理想を体現した姿を描くとともに、近代日本が『どこで間違ったのか』を突き詰め、読者に示そうとしたのかもしれません。そして、リアリズムと合理主義に従ってことをなすべきだ、なさなければならないという強いメッセージを、司馬さんはこの作品を通じて訴えたのだと思います。公共心が非常に高い人間が、自分の私利私欲ではないものに向かって合理主義とリアリズムを発揮したときに、すさまじいことを日本人は成し遂げるのだというメッセージと、逆に、公共心だけの人間がリアリズムを失ったとき、行き着く先はテロリズムや自殺にしかならないという裏の警告メッセージを、司馬さんは、私たちに発してくれているのではないかと思います」。

「明治人が苦労してつくり上げた日本国家は(昭和期になると)暴走を開始し、滅びに向かっていきます」。無謀にも太平洋戦争を引き起こし、惨敗を喫した日本陸軍は、リアリズムと合理主義の対極に位置することを、司馬は、作品を通じて訴え続けたのである。