日本陸軍の無反省体質は、日清戦史の改竄から始まった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2762)】
ホオジロ(写真1、2)、ハシブトガラス(写真3)、ハシボソガラス(写真4)をカメラに収めました。モミジバフウが紅葉、ラクウショウが黄葉しています(写真5)。長時間、皆既月食(写真6~14)を観察していたら、首が痛くなりました。因みに、本日の歩数は14,723でした。
閑話休題、『日清・日露戦史の真実――<坂の上の雲>と日本人の歴史観』(渡辺延志著、筑摩選書)の「日本陸軍の無反省体質は、日清戦史の改竄から始まった」という主張は、強い説得力を有しています。
というのは、著者自身が、陸軍参謀本部の戦史担当の第四部長の東条英教が作成した「日清戦史決定草案」を読み解き、東条が去った後、第四部長に起用された大島健一によってまとめられ公刊された正史「日清戦史」との違いを明らかにしているからです。大島は山県有朋、寺内正毅一派に繋がる阿諛追従の徒です。
「決定草案に東条が『読者』と記した時に、念頭に置いたのは、将来、陸軍の部隊を率いて戦争を指揮することになる陸軍大学校の学生だったと考えることができる。軍の指導者たるもの、なぜ戦争をするのかという背景や理由を大きな枠組みで理解しなくてはいけないとの思いを抱いていたのだろう。失敗した戦い、認めてはいけない愚かな作戦や判断、苦戦の原因、食料補給といった兵站の問題点も含めて事細かく具体的に記したのも、研究課題や教訓として記録し後世の参謀たちに伝えることを意図してのことだったのだろう。このような間違いを繰り返してはいけない、それを避けるにはどうしたらいいのかを考えなくてはいけない。そんなメッセージを東条は決定草案にこめたのだろう。・・・だが、東条の考えは退けられた。その結果、貴重な事実が隠されてしまい、教訓として伝わることもなかった。考えてみれば、中央の指示に従わない現地部隊の独断的行動、指揮官の個人的な野望や思惑による無謀な作戦、人命を軽視し兵站を考慮しない部隊運用など昭和になっての戦争で日本陸軍に見られた多くの重大な欠陥や問題点は、日清戦争ですでにそろって現れていたのだ。そうした事実を決定草案はきちんと記録し、教訓として指摘していた。ところが、そうした問題点を削除し改竄し正史を書き上げたために、事実として記録されることも、教訓として伝わることも、まして改められることもなかった。そればかりか、本来は許されてはいけない無謀な軍事行動が、内実を隠した結果だけをもとにして、模範とすべき成功例や武勇談として受け止められるようになった」。
戦史の改竄は、日本の運命をも変えてしまったと言えるでしょう。「不都合な事実を隠蔽、改竄して戦史を編纂するという作業は『日清戦史』において始まり、『日露戦史』はその考えや経験を踏襲したものだった。初めて体験した本格的な対外戦争であった日清戦争を通して、戦争の事実を歴史として後世にどう伝えるかをめぐる基本的な方向を近代日本は定めたのであり、日露戦争の後に変質したのではなかったのだ。資料の中には、公刊された『日清戦史』では削除された多くの事実が眠っていた」。「参謀本部による戦史編纂はその後、さらに空洞化する。国民教育の材料という役割が重視され、一般国民を読者に想定し、使命感や愛国心を強調する物語としての色彩を強め、その結果、陸軍内で『通俗戦史』と呼ばれるようになった」。
著者の主張は、日露戦争を舞台とした司馬遼太郎の『坂の上の雲』の、「明治の日本は正しかった」、「昭和になって軍部は変質した」という視点と真っ向から対立するものです。
日清戦争、日露戦争を真剣に分析しておけば、太平洋戦争の惨禍は避けられたのではないか、という苦い思いが残ります。