榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

あなたの嫉妬は前向き、それとも後ろ向き?・・・【リーダーのための読書論(38)】

【医薬経済 2010年5月1日号】 リーダーのための読書論(38)

幼い時代からこれまで、胸の底に嫉妬の感情が芽生えるたびに、自分の人間の小ささを思い知らされるような気がして、落ち込んだものである。ところが、『嫉妬学――足を引っ張る「エンビー」嫉妬 上を目指す「ジェラシー」嫉妬』(和田秀樹著、日経BP社)には、思いがけないことが書かれていたのである。

自分より相対的に上にいる人間を羨む感情、この嫉妬と呼ばれる感情は、あらゆる人間が持ち合わせている。ただし、嫉妬には2種類の表現形――「エンビー(envy)型嫉妬」と「ジェラシー(jealousy)型嫉妬」――があるというのだ。エンビー型嫉妬とは、嫉妬の対象となっている相手をただ羨むだけで自らの実力を伸ばそうとはせず、代わりに足を引っ張ったり悪口を言うことで相手を貶め、相対的に自らの立場を上にしようというネガティヴ志向の嫉妬のことである。一方のジェラシー型嫉妬とは、学校や職場などの現実社会において、あの人のようになりたい、あいつには負けたくないと思ったとき、自分の実力を伸ばすことで目標とする相手やライヴァルよりも優位に立とうとするポジティヴ志向の嫉妬のことだ。

社会が停滞状況を迎えると、人々の嫉妬が競争優位のジェラシー型から足を引っ張り合うエンビー型に変わっていき、その結果、さらに社会が停滞、腐敗していくという負のスパイラルが生じる。現在の日本は、実力主義を排除するような世襲や天下りなどが幅を利かす機会不平等社会になってしまっているので、社会の階層化がますます進み、健全なジェラシー型嫉妬ではなく不健全なエンピー型嫉妬が階層間で渦巻いているというのだ。親の職業や財産によってついた差が社会に出ても続くような社会、努力によって教養や学歴を身につけ、社会に出てバリバリ働き、自己実現して高い地位を得るという道が閉ざされた社会では、ジェラシー型嫉妬で頑張ろうという人間は減少し、ネガティヴなエンビー型嫉妬を抱く人間が増大する。

このような状況に対する処方箋があるのだろうか。勝つ道筋が一本しかない社会は危うい。カネ、地位、権力、名誉、技術、人気などいくつもの勝つ道筋があり、こちらで負けても、あちらではそこそこ勝つという具合に、道筋を個人が選べるようになっている社会、場所を変えての敗者復活がある社会、すなわち価値観が多様な社会であれば、ジェラシー型嫉妬が健全に機能するのである。

アメリカなどでは、競争に負けた人間が勝った人間の足を引っ張ることは恥ずかしいことと見做す風潮がある。すなわち、ジェラシー型嫉妬に基づく競争は大歓迎だが、競争もせずに足を引っ張ったり羨んだりするエンビー型嫉妬は罪悪である、と考えられているわけだ。しかし、そのアメリカも、あまりにも大きな所得格差のゆえに、今や大きな課題を抱えている、と著者が指摘している。

嫉妬について学んだら、嫉妬がテーマの『オセロウ』(ウィリアム・シェイクスピア著、菅泰男訳、岩波文庫)を無性に読みたくなった。ヴェニス(ヴェネツィア)の優秀な将軍オセロウが、美しい新妻デズデモウナへの些細な猜疑心から浮気を疑い、部下のイアーゴウの計略にまんまとはまって、嫉妬から最愛の妻を殺してしまう。そして、イアーゴウを陰謀に走らせたのは、正に、他人の足を引っ張ることに執念を燃やすエンビー型嫉妬だったのである。