榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

独学の行商青年が日本旧石器時代の存在を証明した・・・【山椒読書論(216)】

【amazon 『「岩宿」の発見――まぼろしの旧石器をもとめて』 『「岩宿」の発見――幻の旧石器を求めて』 カスタマーレビュー 2013年7月10日】 山椒読書論(216)

岩宿」の発見――まぼろしの旧石器をもとめて』(相沢忠洋著、筑摩書房・ちくま少年文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)からは、どのような環境に置かれようと、自分の夢を追い求めることの素晴らしさが伝わってくる。

本書は『岩宿」の発見――幻の旧石器を求めて』(相沢忠洋著、講談社文庫)を少年・少女向けに書き改めたものである。若い時に読んでいたら、私の人生も違うものになっていたかもしれない。

1926年生まれの相沢忠洋は、一家離散後、浅草で小僧奉公をしながら、好きな考古学の勉強を独りで続ける。戦後は群馬県桐生市に住み、小間物の行商のかたわら、赤城山周辺の土器・石器探しに熱中する。

「きょう一日が、はやくも暮れようとしていた。私は村々での商いの帰路を急いだ。丘陵地の畑道を歩きつづけているうちに、山と山とのすそがせまっている間のせまい切り通しにさしかかった。両側が2メートルほどのがけとなり、赤土のはだがあらわれていた。そのなかばくずれかかったがけの断面に、ふと私は吸いよせられた。そこに小さな石片が顔を出しているのに気づいたからであった」。この剥片石器を見つけたことで、相沢の探究心はますます燃え盛る。

「いま私は、だれからもしばられず、だれにも気がねすることのない、ひとり身の自由な人間であった。そして食べることができるだけの手だては行商でかせぎながら、雄大な大自然のなかにねむる、私たち人類の祖先の生活の跡を、ひたすらに『人間思慕(=家族団欒への憧れ)』という目的を追って歩きつづけることができる」、「私のなかで、赤土のなかにねむるあけぼの期文化によせる夢は、もはやはちきれんばかりな幻想となって、広漠たる天地の間にふくらんでいくばかりであった」。

「私はほぼ3か月ぶりに笠懸村の赤土のがけへ向かって(自転車の)ペダルをふんでいた。前橋県道(国道50号線)にそって、両毛線の岩宿(いわじゅく)駅前から西へ進むとまもなく、右手に、岩石が切り立ったように露頭する丘陵の突端があった。・・・もう一方のがけの面を注意ぶかく目を光らせながら見て歩いた。山寺山にのぼる細い道の近くまで来て、赤土の断面に目を向けたとき、私はそこに、見なれないものが、なかば突きささるような状態で見えているのに気がついた。近寄って指をふれてみた。指先ですこし動かしてみた。ほんのすこし赤土がくずれただけで、それはすぐ取れた。それを目の前に見たとき、私はあやうく声をだすところだった。じつにみごとというほかない、黒曜石の槍先形をした石器ではないか。完全な形をもった石器なのであった。われとわが目を疑った。考える余裕さえなく、ただ茫然として見つめるばかりだった。・・・もうまちがいない。赤城山ろくの赤土(関東ローム層)の中に、土器をいまだ知らず、石器だけを使って生活した祖先の生きた跡があったのだ。ここにそれが発見され、ここに最古の土器文化よりもっともっと古い時代の人類のあゆんできた跡があったのだ」。1949年7月、相沢23歳のことであった。独学の青年が、日本にも旧石器時代が存在したこと、旧石器時代人が存在したことを証明したのである。

この一大発見は、当時、考古学者・杉原荘介が自分の業績として発表したが、当然のことながら、やがて真相が明らかとなった。