榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

新聞大好き人間の私も知らないことがたくさんあった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(151)】

【amazon 『どうなってるの? ニッポンの新聞』 カスタマーレビュー 2015年8月23日】 情熱的読書人間のないしょ話(151)

散策中にタカサゴユリを見つけました。すらりとした浴衣美人の趣です。違う場所ではテッポウユリが咲いていました。タカサゴユリに似ていますが、一回り小形です。

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閑話休題、『どうなってるの? ニッポンの新聞』(池上彰著、東京堂出版)を読んで、新聞大好き人間の私も知らないことがたくさんあることに気づかされました。

「新聞にはそれぞれ『カラー』がありますが、それをつくっているのが、この『論調』です。今、日本の新聞界は、論調によって大きく2つに割れていると言っていいでしょう。とくに最近は特定秘密保護法や集団的自衛権、原発再稼働といった論調が分かれる問題が多く、新聞ジャーナリズムの二極化はより顕著になっているように感じます。わかりやすく言えば、『朝日・毎日・東京』と『読売・産経』とに大きく分かれ、その間に『日経』がいるという構造になっているということです」。

「その昔、読売新聞は反権力意識が非常に強く、社説にもそうした論調が色濃くにじみ出ていました。1950年代から60年代の読売新聞は、社内では社会部が大きな力を持っていたために、反権力の報道が多く、その内容にも定評があったのです。ところが次第に反権力報道に勢いがなくなり、政権寄りの報道が多くなっていきます。その原因は、現在の読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆である渡邉恒雄氏の存在といってもいいでしょう。政治部に籍を置いていた渡邉氏が頭角を現し、それに伴って政治部が強い力を持つようになりました。すると読売新聞社内のパワーバランスが一変します。社内の権力闘争で政治部が勝ち、社会部が追い込まれてしまったのです」。読売新聞が以前は反権力だったとは驚きです。

「今、日本の多くの新聞社では、花形で出世の最短コースは政治部、その次が経済部、そして社会部という序列ができあがっています。日経新聞は事情が違いますが」。

「2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原発事故が起きて以来、論調が明確になった新聞があります。東京新聞です。東京新聞は朝日や読売のような全国紙ではなく、中日新聞東京本社が発行する東京のブロック紙。発行部数も50万部ほどで、在京各紙のなかでも規模が小さい新聞です。その東京新聞が、原発事故を境に『反原発』という主張を明確に掲げるようになりました」。この東京新聞の反権力姿勢が、比較的新しいことにも驚きました。

新聞と放送の違いが、非常に分かり易く説明されています。「新聞は偏っていいけれど、放送は偏ってはいけない。その考え方が端的に表れているのが『論説委員』と『解説委員』の存在です。新聞社には論説委員がいるけれど、放送局に論説委員はいません。放送局にいるのは解説委員です。両者は同じようなものだと思っている人も多いでしょう。論説も解説も同じような意味だろう、そう考えてしまいがちです。ところが大きく違うのですね。論説とは物事の是非を論じたり持論を主張したりすること。新聞社は民間企業で、自由に自分たちの主義主張が言えるから論説委員がいます。でもNHKや民放などテレビ局、ラジオ局は放送法の定めるところによって、偏ったり持論を主張したりすることができません。あくまで『解説』をするだけ。だから解説委員という言い方をしているのですね」。

「テレビ朝日の問題とは、2015年3月27日の『報道ステーション』にコメンテーターとして出演した元経済産業官僚の古賀茂明氏が、自身の降板をめぐり『官邸から圧力があった』と発言したことです。これらの問題を重く見た政府が、各社を呼び出し、事情聴取を行ったのです。これが欧米の民主主義国で起きたら、大変な騒動になったはずです。放送局の放送内容に関して、政権与党が事情聴取のために放送局の幹部を呼び出すとは、言論の自由・表現の自由に対する権力のあからさまな介入であるとして、政権基盤を揺るがしかねない事件になるはずです」。全く、日本の放送局の腰抜けぶりには呆れてしまいます。

「実は放送法は、権力の介入を防ぐための法律なのです。・・・つまり、『表現の自由』を確保するためのもの。放送局が自らを律することで、権力の介入を防ぐ仕組みです。・・・その意味では、自民党の事情聴取こそが放送法違反になりかねない行為だったといえるでしょう」。

「そうした記者たちによる紙面での議論をよしとしている、つまりフォーラム機能を取り入れているのは、会社の中で言論や表現の自由が保障されているということでもあります。その意味で毎日新聞というのはとても自由な会社だと思います」。

「日本に限らずどの国でも、その時の政権は内政・外交などの施策に対してメディアから批判を受けると、『そんなことを報道すると国益に反する』という言い方をすることがあります。つまり、国の利益を損なう報道はしてくれるな=政権批判をするな、ということです。そう、国益という言葉はときに、政権批判をかわすための免罪符として使われることもあるのです。それなのにメディアの側から『国益に反する』と言い出したら、政権のすることを批判できなくなってしまう。それこそただの『御用新聞』ではないか」。この言や、よしです。

「2015年2月20日、皇太子が東宮御所で記者会見に臨まれ、その発言を新聞各紙がそれぞれの切り口で記事にしました。その会見で皇太子は戦後70年を迎えたことについて触れ、『我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています』と述べられました。・・・皇太子の発言は、この憲法擁護義務を守りつつ、宮内庁と相談しながらギリギリのところで憲法の大切さを伝えようとしたとも受け取れる、非常に重要なものでした。ところが、この発言を掲載したのは毎日新聞だけ。朝日も読売も、この発言を記事の本文で掲載しませんでした。・・・今では、『安倍政権の憲法改正にとって、最大の抵抗勢力は皇室だ』などと冗談めかして言われているようです」。

「媒体としてのメディアが多様化し、『新聞離れが進んでいる』などとも言われています。なかでも速報性の高いインターネットの台頭は著しく、『ニュースはインターネットで見るから新聞は必要ない』という人もいます。しかしネットニュースに出ている記事の大半は、新聞記事がネタ元になっています。新聞が取材した記事を提供し、ネットという媒体を通じて読んでいる。つまり、ネットの記事は新聞の記事なのです。新聞がなくなったらネットニュースに記事を提供する媒体もなくなってしまうでしょう。そう考えれば世の中は今、『新聞紙離れ』はしていても、決して『新聞記事離れ』はしていないのですね」。新聞よ、頑張れと、エールを送りたい気持ちです。