榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

私の弥生時代観を一変させた本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(215)】

【amazon 『弥生時代の歴史』 カスタマーレビュー 2015年11月2日】 情熱的読書人間のないしょ話(215)

我が家の床の間には、天手力男神(アメノタヂカラヲノカミ)の高千穂神楽面が掛かっています。40年前に宮崎から北九州に転勤になった際、宮崎の所長がわざわざ高千穂町で求めてきてくれた送別記念品です。それ以来、私は多くの幸運に恵まれてきましたが、この面の開運招福の効験のおかげだと思われます(笑)。

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閑話休題、『弥生時代の歴史』(藤尾慎一郎著、講談社現代新書)を読んで、私の弥生時代観はすっかり変わってしまいました。

「本格的な水田耕作が九州北部で始まった紀元前10世紀から、定型化した前方後円墳が近畿に造られて古墳時代が始まる後3世紀までの約1200年間を弥生時代とする」。

新聞報道で、日本の水田耕作開始時期は紀元前10世紀だったと、従来の説より500年も遡ったことは知っていたのですが、本書には驚くことが記されていたのです。

「1200年間つづいた弥生時代の日本列島には複数の文化が存在した。代表的なものが弥生文化、続縄文文化、貝塚文化である。弥生文化は本州・四国・九州に展開した文化。続縄文文化は前4世紀以降の北海道を中心とする文化、貝塚文化は奄美から沖縄・宮古を中心とする文化である。しかしもう1つ忘れてはならない文化がある。縄文文化である。九州北部で本格的な水田稲作が始まると弥生時代が始まって弥生文化が成立するが、九州北部以外の地域ではまだ縄文文化が続いている。その地域で水田稲作が始まるまでは縄文文化が続いていることになるのだ。したがって弥生時代の日本列島には縄文文化を含む4つの文化が存在していたことになる」。弥生時代は弥生文化一色というイメージが見事に覆されてしまいました。

本書では、弥生時代を5つに分けて説明しています。●弥生早期前半(前10世紀後半~前9世紀中頃)=水田稲作の始まり、●弥生早期後半~前期後半(前9世紀後半~前5世紀)=農耕社会の成立と水田稲作の拡散、●弥生前期末~中期前半(前4世紀~前3世紀)=金属器の登場、●弥生中期後半~中期末(前2世紀~前1世紀)=文明との接触と「くに」の成立、●弥生後期(1世紀~3世紀)=古墳時代への道――の5段階です。ここの「くに」は、邪馬台国や奴国などと使われる「くに」を意味しています。

弥生人の健康診断という興味深い記載もあります。「朝日遺跡でみられた人口集中現象は新たな病気を引き起こして弥生人をむしばんだ。結核である。・・・当時、かなりの頻度で結核感染が広がっていた可能性があると考えられている。青谷上寺地遺跡を例にすると弥生人の平均寿命は、男性で30歳代、女性で20歳代であることがわかる。・・・また眼球がはいる頭骨のくぼみ(眼窩)の壁に、細かなくぼみや小孔ができる、貧血を示す証拠といわれているクリブラ・オルビタリアを確認できる人骨がある。さらに栄養状態が悪く、病気などの大きなストレスがかかったことを示す証拠と考えられている、不規則な溝を歯の表面にもつ人骨も見つかっている。縄文時代になかった人口集中にともなうストレスにさらされていた弥生人の存在を垣間見ることができる」。弥生人もストレスを感じていたのかと思うと、親近感を覚えてしまいます。