榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『史記』に描かれた始皇帝像は、史実とは異なっていた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(245)】

【amazon 『人間・始皇帝』 カスタマーレビュー 2015年12月8日】 情熱的読書人間のないしょ話(245)

野鳥観察会に参加し、カワセミ、ハクセキレイ、ヒドリガモ、マガモ、カルガモ、ハシビロガモ、コガモ、カイツブリ、オオバン、アオサギ、ノスリなど22種の野鳥を観察することができました。千葉県・流山のオオタカが棲息する市野谷の森(私は「オオタカの森」と呼んでいる)の中では、焦茶色に草色が混じった、直径1.3cm、厚さ0.9cmの碁石状の新鮮な糞が見つかりました。このことから、ニホンノウサギが棲息していることが分かります。ヒメアカタテハが日向ぼっこをしています。冬に活動するフユシャクガがクモの巣から逃げようと盛んにもがいています。因みに、本日の歩数は13,921でした。

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閑話休題、『人間・始皇帝』(鶴間和幸著、岩波新書)には、俄かには信じ難いことが書かれています。絶大な信頼を置いてきた司馬遷の『史記』に描かれた始皇帝像と、1970年代以降に地下から発見された新史料群が示す始皇帝像とはかなり異なっているというのです。

始皇帝は競合する6国の征服や匈奴との戦い、焚書坑儒などを行った苛烈な暴君か、それとも有能かつ偉大な君主なのかということを初め、出生の秘密、刺客・荊軻による暗殺未遂事件の経緯、天下統一の実態、遺言の真相などが、著者の綿密な検証によって次第に明らかにされていきます。

「いまから2200年も前の古代中国に出現した始皇帝(前259~前210、在位前247~前210)は中国史上最初の皇帝であった。司馬遷(前145頃~前86頃)の編纂した『史記』を読むことによって、50年の帝王の生涯をたどることができる。始皇帝、つまり秦王政は秦を遠く離れた趙の都邯鄲で生まれ、13歳で秦王に即位し、39歳で天下を統一して皇帝になったが、12年後に不意に病死、かれが樹立した秦帝国も3年後には瓦解してしまう」。

「1974年3月、始皇帝陵の東1.5キロメートルの地点で偶然に兵馬俑坑が発見された。俑とは人間の姿をありのままに写し取り、墓に埋めたひとがたをいう。発見された坑からは、始皇帝と同時代の兵士と馬の姿が等身大で生き生きと甦ってきた。さらに翌75年には、湖北省雲夢県にある秦の時代の一地方官吏の墓から、1155枚の始皇帝の時代の竹簡(竹を乾燥させた細長い札に墨で文字を記したもの)が発見された(睡虎地秦簡)。両者とも2000年以上地下に眠っていた始皇帝の時代がそのままに私たちの眼前に現れたものである。その後も始皇帝陵周辺の発掘と、秦の時代の竹簡文字史料の発見はとどまることを知らない。さらに今世紀に入って2002年には、湖南省の古城にあった古井戸から3万8000枚にもおよぶ秦代の簡牘(簡はふだ、牘は板)が発見され(里耶秦簡)、その正式な図版全5巻が2012年1月から刊行され始めた。2007年には湖南大学嶽麓書院が盗掘された秦代の簡牘を香港で購入し、寄贈分もあわせて2176枚の整理が進み(嶽麓秦簡)、2010年12月から全4巻の図版が刊行された。さらに海外に流出した秦代の竹簡762枚と漢代の竹簡3300枚以上が2010年と2009年にそれぞれ北京大学に寄贈され(北大秦簡と北大漢簡)、2012年12月より漢代の竹簡の方から全7巻の図版が刊行され始めた」。これらは司馬遷が伝えてきた情報を遥かに超える始皇帝の同時代史料であり、今や古井戸や地方官吏の墓といった地下からの貴重なメッセージは無視できなくなっているのです。

発見された新史料から明らかになったことは多いのですが、始皇帝の名前は『史記』に記された「政」ではなく「正」であったこと、重篤に陥った場所も『史記』が記す場所とは異なっていたこと、さらに、遺言で後継皇帝に指名されたのは、『史記』が記す「長男・扶蘇」ではなく、「末子・胡亥」であったことなどがとりわけ注目されます。

本書は、始皇帝を巡る史実はいかなるものであったのかを追究する上で、これまで最も重要な始皇帝史料とされてきた『史記』の再検証が必要となったことを指摘する瞠目すべき一冊です。