通説を論破する快感に痺れる・・・【情熱の本箱(64)】
ウィリアム・シェイクスピアは罪作りである。リチャード三世が「腕は萎え、足を引きずり、背中に大きな瘤を背負った」「残忍冷酷な王位簒奪者、権謀術数の権化、醜悪不遜な殺人鬼、権力欲の化身、奸智奸才に長けた野心家」だというイメージが定着してしまったのは、シェイクスピアの『ヘンリー六世』第2部、第3部、『リチャード三世』のせいだからである。
これでは、リチャード三世があまりにかわいそうだと、通説に果敢に挑戦したのが、『悪王リチャード三世の素顔』(石原孝哉著、丸善プラネット)である。著者の執念が天に通じたのか、2012年に衝撃的なニュースが齎された。レスター市の駐車場(昔の修道院跡)の発掘調査でリチャード三世の人骨が発見されたのである。DNA鑑定の結果、間違いなくリチャード三世のものと確認され、頭蓋骨に剣や斧によると思われる傷が10カ所もあり、背中に矢尻が刺さっていること、脊椎湾曲症であったことが判明した。さらに、「頭蓋骨を元に顔の復元が試みられ、そこには鼻筋が少し曲がり、大きな顎、上品な唇を持った貴公子が再現されている。印象では、高潔、上品、思いやりといった好意的なものが多い」という。復元図を私の目から見ると、著者には申し訳ないが、高潔、上品、思いやりというよりも、むしろ神経質な策略家という印象を受ける。尤も、顔の印象でその人の本質を臆断すると失敗することが多いのは、現在でも、我々の経験することであるが。
「イングランド歴代諸王の中で、リチャード三世(1452~1485)ほどその悪名があまねくとどろいている国王はいない。・・・リチャード三世は、プランタジネット王朝最後の王である。時代は、英仏の百年戦争の末期から、イングランドでは『ばら(薔薇)戦争』と呼ばれる内戦の時代で、日本の戦国時代と時期的にもほぼ重なる」。とにもかくにも、リチャード三世は、イングランド王家の長期に亘った複雑で入り乱れた王位争奪戦の主要人物なのである。
「リチャード三世自身は、中世のイギリスによく見られる国王の一人であるが、テューダー王朝時代の歴史ブームと劇作家シェイクスピアの筆力によって、新たな作中人物として独自の生命力を持つにいたった。腕は萎え、足を引きずり、背中に大きな瘤を背負った怪人、リチャード三世の誕生である」。王位決定戦でリチャード三世を戦死させ、新たにテューダー王朝を開いたのがヘンリー7世であり、王朝はその息子のヘンリー8世、さらに、その娘のエリザベス一世へと引き継がれる。そして、このエリザベス一世の時代に活躍したのがシェイクスピアである。
正直に言うと、私はシェイクスピアの劇作家としての実力は認めているが、あまり好きになれない。自分の発想というよりも、先人や同時代の他人の作品を換骨奪胎するという手法で次々と作品をものした人物と見做しているからである。いわば、「作者」「作曲家」「発明者」というよりも、すばしっこい「編集者」「編曲者」「模倣者」という印象だ。こういうシェイクスピアであれば、時の絶対権力者・エリザベス一世を喜ばす術は心得ていただろう。自らの作品によって、エリザベス一世の祖父のライヴァルであったリチャード三世を貶め、テューダー王朝の正統性を称揚しようとしたのは、当然の帰結と言える。この意味で、著者の「ストーリーとヒストリーを峻別する努力」に敬服している。
「リチャード三世に対する歴史学的な研究が、近年、急速に進んだ理由は、今世紀になって、今までなかなか手に入らなかった貴重な資料が、一般に公開されるようになったからである」と述べる著者の研究姿勢は、実証的かつ公平である。世に喧伝されてきた、●一族のヘンリー六世と、その皇太子・エドワードの殺害、●兄・クラレンス公ジョージの殺害、●妻の王妃・アンに対するむごい仕打ちと毒殺――は濡れ衣であることを、豊富な資料を駆使して論証している。ただし、幼い甥・エドワード五世と、その弟・ヨーク公の殺害についてはリチャード三世にも責任ありと判定している。
「一連の反乱で特徴的なことは、反乱者のほとんどが、一度ならず反逆し、リチャードに赦免されていることである。後世の悪王リチャードの評判とは裏腹に、助命の嘆願を受けると直ぐに赦免する人の良いリチャードの性格が目に付く」。「リチャードの勇敢さ、軍事的才能、有益な法の制定などを高く評価している」。「リチャード三世の立法、裁判、秩序の確立などを高く評価している」。「リチャードが有能で、知的な、組織を総括(する)能力のある人物であること・・・」。「リチャードを有能で、知的で、(少なくとも死の1か月前までは)自信家で、勇敢で、騎士道精神にあふれ、寛大で信仰深い人物だと考えている」。著者はこれらのリチャードに好意的な資料に言及している。
誰もが称賛するシェイクスピアが嫌いな天の邪鬼の私にとっては、知的興奮を掻き立てられる、何とも痛快な一冊である。