クビライが世界史を大転回させたというのは、本当なのか・・・【情熱の本箱(123)】
『クビライの挑戦――モンゴルによる世界史の大転回』(杉山正明著、講談社学術文庫)は、300ページほどの文庫本であるが、その内容はユーラシア大陸全体を覆う広がりを有している。クビライが世界史を大転回させたというスケールの大きな論考が日本人学者によってなされたことを嬉しく思う。
クビライは、チンギス・カンの孫でモンゴル帝国の第5代皇帝である。私が学校で習った時は「フビライ」と表記されていたが、この件については、著者がこのように説明している。「ユーラシアの中央域に展開した遊牧民とその社会・国家において、それなりの人間集団の長をトルコ語・モンゴル語で『カン』といい、さらに数多い君長たちの上に立つ至高の存在を『カガン』ないしは『カアン』といった。モンゴル帝国では、第2代皇帝のオゴデイのときから『カアン』と名乗り、帝国を構成する他のウルスにおいてはその当主はあくまでカンとのみ称した。ようするに、モンゴル帝国は、ひとりのカアンのもと、複数のカンが率いる二重構造の多元複合体であったのである。なお、従来しばしば、カアンとカンの違いと使い方について、研究者のなかで理解が不十分であったため、たとえばすべてをハーンと表記したりした。また、『カ』と『ハ』の違いは、おもに日本語表記の限界にもとづく。原音は『カ』と『ハ』の中間であり、時代と地域によっても異なるが、モンゴル時代においては、より『カ』に近い音だったとおもわれる。日本では『フビライ』と表記されることの多い人名を、本書では『クビライ』としているのも、この方が当時の発音に近いと思われるからである」。
クビライは異様な人物だと、著者は言う。「モンゴル人ではまことにめずらしい80歳の長命を保ったこと自体が、異様である。そして、37歳で突然にモンゴル東方の権力者として登場するまで、これほどの歴史上の人物でありながらその前半生がほとんどわからないというのも、異様である。しかしクビライは文字どおりの最高権力者になってのち、他の歴史上の権力者がよくするように、自分を飾りたてる逸話や神格化・聖人化のための作業については、まったく関心をもたなかった。周囲や後世を意識して、ことさらに演技するというようなあざといまねはしていない。これは、かれの子孫の代まで徹底させたようであるから、見事なまでの即物主義である」。「クビライがかかえこんだブレインたちは、じつにさまざまな人種と顔触れからなっていた。ことばも、まちまちであった。ただし、ほとんど、モンゴル語をはなしたようである」。「かれ(クビライ)はモンゴル語で『セチェン・カアン』、すなわち『かしこいカアン』とおくり名された。聡明な人物であったことはまちがいない。そして、かすかにわかる材料からすると、手ずからウイグル文字で書簡や任命書、指令書をしたためるのを好んだ。ことがあれば、クビライは側近やブレインたちとの討論や協議をさかんにおこない、綿密に分析・検討したのち、決定をくだした。側近やブレインにたいする信頼は絶大であった。あることを誰かにまかせると決めれば、ことの成否が明瞭になるまでは、まかせきった。新情報や新知識については、非常に敏感であった。有能な人間の発掘・登用には、きわめて貪欲であった。そして、いったん必要となれば、クビライは、ただちにみずから陣頭に立った。73歳で反乱軍を親征・鎮圧したのは、その一例である。果断な人であったことは、まちがいない」。
モンゴル帝国は、その最盛期には、東は日本海から西はドナウ河口・アナトリア高原に至る史上最大の巨大国家であった。そのモンゴル帝国の第5代皇帝という地位が、チンギス一族の一員とはいえ、クビライに簡単に転がり込んできたわけではなく、皇帝位獲得はクー・デタによるものであった。彼が46歳の時のことである。クビライ皇帝誕生により、「モンゴル帝国は、『大カアンのウルス』であるクビライの帝国を中心に、その他のウルスがとりまく二重構造となった。それぞれの一族ウルスが帝国といってもいい規模をもっていたから、宗主国のクビライ帝国以下、いくつかの帝国グループ全体が、モンゴル世界連邦を構成したと見てもいい。クビライは、新時代の世界連邦の中心にふさわしい新国家をつくろうとした」。
クビライはどのような国家を目指したのか。「クビライ新国家の基本構想は、草原の軍事力、中華の経済力、そしてムスリムの商業力というユーラシア史をつらぬく3つの歴史伝統のうえに立ち、その3者を融合するものとなった。クビライ政権は、草原の軍事力の優位を支配の根源として保持しつつ、中華帝国の行政パターンを一部導入して中華世界を富の根源として管理する。そして、ムスリム商業網を利用しつつ、国家主導による超大型の通商・流通をつくりだす。とうぜん、草原と中華を組みあわせる軍事・政治体制が必要である。政治権力と物流システムのかなめとなる巨大都市が必要である。その巨大都市を発着・終着の地とする交通・運輸・移動の網目状組織が必要である。そのうえで、大カアンはすべての構成要素をとりしきるかなめにいて、軍事・政治・行政・経済の要点をおさえ、物流・通商に課税して国家財政を充実させる。その収入から賜与というかたちのものをモンゴルたちにわけあたえ、モンゴル連合体を維持する柱とする。その賜与は、おそらくその多くが、ふたたびムスリム商業資本をつうじて、物流・通商活動に投入され、モンゴル全域でいっそうの経済活動の活性化をもたらす」。「クビライとその側近グループたちは、遊牧世界と農耕世界、さらに海洋世界という3つの異なる世界のジョイントを構想したのである。それを、全ユーラシア規模でやろうとしたのである」。その要となる都市が置かれたのは、大都(現在の北京)であった。
この海上帝国への道の一環として、クビライの最晩年に行われた、弘安合戦として知られる第2回の日本遠征についてもページが割かれている。
この壮大な構想をクビライとブレインたちが実現していく過程が丹念に検証されていく。軍事面では、戦うことを目的とするのではなく、敵側の兵力をできるだけ損なわずに自軍に取り込むことを狙う、クビライの「不戦の思想」が徹底された。経済面では、重商主義と自由経済による経済立国が国是とされた。「クビライ政権は、当時の世界で最大の経済力と産業力をもつ中国本土をとりこんで、地域と『文明圏』の枠をこえた大型の通商を奨励する自由経済政策をとった。誰がどこで商売をやってもいい。人種も民族も、関係ない。わずか3,3パーセントの商税・関税を支払えば、すべてフリー・パスであった」。すなわち、「クビライ帝国は、拠点支配と物流・通商のコントロールを最大の特徴とする。それによって、帝国の分有支配の原理と実態をのりこえてしまった。それらとはかかわりなく物資を集散し、それに課税して財源とすることができたのである」。
クビライ帝国は、世界史の中でどう位置づけられるのか。「かれら(モンゴル)は、標榜すべき理想も建前ももたなかったが、そのかわり現実を直視し、経済・商業を重視した。とくに、クビライ政権は、それを前面におしたて、利益追求を本能とする商業・企業集団をむしろすすんで育成した」。「国家が主導する自由な経済活動によって、国家・社会がうるおい、それによって人間の活動・精神や行動の範囲、さらには生きてゆくかたちも、さまざまに多様化・活発化する。こうした状態は、近代以降の西欧における国家と社会、そして資本主義のありかたと酷似する。われわれの現在の姿とも共通する。クビライ帝国のシステムは、それらに先行するものとして、世界史上できわめて注目にあたいする。興味ぶかいのは、こうしたクビライ政権の経済政策には、たんに軍事や海運などとの関係だけでなく、意外なことに、それまでユーラシアの陸上・海上の経済活動からとりのこされてきた『周辺民』を撫育する一面が、はっきりとあったことである。経済による『教化』といってもいい。つまり、経済政策といっても、それだけにとどまらず、ひろい意味での帝国統治の戦略といえるものであった」。この著者の指摘は、独自であるだけでなく、鋭く、奥深い。そして、強い説得力がある。
しかも、「それ(モンゴル帝国)は、軍事力によって強引にむすびつけられたものではなかった。史上最大の巨大国家モンゴル自身が、政権の力をあげて整備・維持する交通網とそれを利用する通商とによって、おだやかにむすびつけられたものであった。モンゴルは、いぜんとして強大な軍事力を保有してはいたけれども、中国を中心とする巨大な経済力によって、世界と時代をリードした。軍事から経済の時代となった。きわめてゆるやかで緩慢ではあったものの、世界はひとつのものとして動きはじめた」。「モンゴル帝国では、その地域・政権のいかんをとわず、さまざまな人種・言語・文化・宗教が、ほとんど国家からの規制をうけないかたちで、並存・共生する状況となった。『ノン・イデオロギーの共生』といってもいい。現在のわれわれからすると、すこし不思議におもえるくらい地域紛争・民族対立・宗教戦争はすくない。大元ウルスはもとより、各地のモンゴル国家はいずれも、政治と経済いがいのことについては、おどろくほど無関心であった」。「モンゴル時代後半の世界は、『近代』以前では非常にめずらしいほどに、共通して即物主義、合理主義、現実重視の風潮に、国家も政権も社会もつつまれた。しかも、自分とは異なる存在・文化・価値観にたいする排他性や攻撃性は、いまのようにひどくはない。ハイブリドな政権モンゴルを中心とする政治と経済の安定によって、異文化の共存、多元社会の状態はあたりまえとなり、恒常化した」。闘争や差別に明け暮れる現代に生きる私たちから見て、何と理想的な羨ましい社会ではないか。
これほど雄大な歴史が、この小さな書籍に凝縮しているとは――読書の愉しみが実感できた一冊である。