榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

つげ義春の本音の世界が覗ける本・・・【山椒読書論(208)】

【amazon 『苦節十年記・旅籠の思い出』 カスタマーレビュー 2013年6月22日】 山椒読書論(208)

「ねじ式」などの、何とも言えない独特のマンガで知られるつげ義春のエッセイ集『苦節十年記・旅籠の思い出――つげ義春コレクション』(つげ義春著、ちくま文庫)は、つげの本音の世界を覗くことができる。

つげは旅が好きであり、旅籠(はたご)好きである。例えば、「上州湯宿温泉の旅」は、こんなふうだ。「14年ほど前だったか、親しい友人が、『大発見、つげさん向きの温泉がありましたよ』と報告に来た。『ぼく向きとはどういうこと?』。『うーん、なんて言うのかねえ、鄙びていてあまり知られていなくで、訪ねる人も少いし、それに宿代も安い』。『渓谷があって、露天風呂があって?』」。「これは14年前の印象だったが、今度また湯宿に来てしまった。これが二度目ではない。もう何度も来ているのだ。何を好んでといわれても答えようがない。ふと思い出すと来てしまうのだ。その都度寂寥とした思いになるわけではないが、妙に馴染めるのだ。ふらりとやって来て、何をするでもなく、宿でごろりと横になっているだけでいいのだ。みずぼらしくて侘しげな部屋にいる自分が何故かふさわしいように思え、自分は『本当はここにこうしていたのかもしれない』というような、そんな気分になるのだ」。「旅は日常から少しだけ遊離している処に良さがある。非日常というと大袈裟だが、生活から離れた気分になれるのが楽しくもある」。

これらの旅は全て、マンガに結実している。「『ねじ式』の海辺もこの太海を想定して描いたもので、漁村の路地から機関車が現われるシーンは、泊った宿のすぐ近くの景色を描いたものだった」。意外にしっかりしているのだ。

「自伝的エッセイ」で正直に描かれているつげは、そのマンガ同様、かなり異常・異様である。そして、エッセイのあちこちで興味深いエピソードに出くわす。「『ガロ』の青林堂になんとなく寄ってみると、長井社長に、水木しげるが大手雑誌に採用され急に忙がしくなり、アシスタントを探しているという話を聞いた。さっそく調布の水木宅へ出かけて行くと、駅まで氏がボロ自転車に乗って出迎え、自宅へ案内された。・・・水木の助手を務めることによって、私は長年の貧乏からどうにか脱出することができたのは幸いであったが、それよりも氏に出会えたことは、さらに貴重な経験になった。氏の間近に居て何かと影響されたと云うとおこがましいのだが、私なりに学び吸収させて貰ったことは未熟な私の生き方の救いになっている。しかし学ぶことに一部曲解があったのか、私はひどい怠け者になり、現在も、昔ほどではないけれど相変らず貧乏が続いている」。これは、つげ28歳、水木43歳の時のことである。

エッセイだけでなく、「旅の絵本」「桃源行」「つげ義春流れ雲旅」のイラストが多数収録されている。エッセイで、「夜半、路地のほうから、『火の用心。カッチ、カッチ』と拍子木の音が淋しそうにきこえ、思わず寒々とし、寂寥とした気持が胸に迫り、人生の涯(はて)、旅路の涯に来たような絶望的な気分におちこんでしまった」とある「桃源行 群馬県湯宿温泉」の精密なイラストは、寒風吹きすさぶ中、うらぶれた旅籠前の夜道を行く夜回りの男の後ろ姿が強烈な存在感で迫ってくる。

つげファンには堪らない一冊である。