勝小吉と宮本武蔵の比較論、島崎闘争と小林秀雄に対する悪口雑言――坂口安吾は、はちゃめちゃな男だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1849)】
囀るモズの雄、囀るカワラヒワの雄、ヒヨドリ、ハシブトガラス、カワウをカメラに収めました。
閑話休題、29歳の時に読んだ『堕落論』(坂口安吾著、角川文庫)を46年ぶりに再読して驚いたのは、坂口安吾に対する印象が当時とはまるで違うことです。当時の私は仕事に燃える純真かつ単純な猛烈サラリーマンで、坂口の無頼さに好感が持てなかったのでしょう。今回、読みながら、ふむふむと何度も頷いてしまったのは、私が堕落したからなのかもしれません。
とりわけ印象に残ったのは、勝海舟の父・勝小吉と宮本武蔵の比較論、島崎藤村と小林秀雄に対する悪口雑言、天性の娼婦絶讃論――の3つです。
「僕は先日勝海舟の伝記を読んだ。ところが海舟の親父の勝夢酔(小吉の号)という先生が、奇々怪々な先生で、不良少年、不良青年、不良老年と生涯不良で一貫した御家人くずれの武芸者であった。もっとも夢酔は武芸者なとともっともらしいことを言わず剣術使いと自称しているが、老年に及んで自分の一生をふりかえり、あんまり下らない生活だから子々孫々のいましめのために自分の自叙伝を書く気になって『夢酔独言』という珍重すべき一書を遺した。・・・この自叙伝の行間に不思議な妖気を放ちながら休みなく流れているものが一つあり、それは実に『いつでも死ねる』という確乎不抜、大胆不敵な魂なのだった。・・・子供の海舟にも悪党の血、いや、いつでも死ねる、というようなものがかなり伝わって流れてはいる」。因みに、「御家人くずれ」とあるが、勝家は小禄ながら、御家人ではなく旗本です。
「夢酔の覚悟に比べれば、宮本武蔵は平凡であり、ボンクラだ。武蔵六十歳の筆になるという『五輪書』と『夢酔独言』の気品の高低を見ればわかる。『五輪書』には道学者的な高さがあり、『夢酔独言』には戯作者的な低さがあるが、文章にそなわる個性の精神的深さというものは比すべくもない。『夢酔独言』には最上の芸術家の筆をもってようやく達しうる精神の高さ個性の深さがあるのである」。しかしながら、坂口は、晩年の悟りすました武蔵はこき下ろしているものの、青年期の武蔵については、「いつ死んでもいい、という覚悟がどうしても据わらなかったので、そこに彼の独自な剣法が発案された。つまり彼の剣法は凡人凡夫の剣法だ。覚悟定まらざる凡夫が敵に勝つにはどうずべきか。それが彼の剣法だった。・・・何でも構わぬ。敵の隙につけこむのが剣術なのだ。敵に勝つのが剣術だ。勝つためには利用のできるものは何でも利用する。刀だけが武器ではない。心理でも油断でも、またどんな弱点でも、利用し得るものをみんな利用して勝つというのが武蔵の編みだした剣術だった。・・・これがほんとうの剣術だと僕は思う」と、武蔵が希有な剣術の達人であったことを認めています。
「島崎藤村は誠実な作家だというけれども、実際は大いに不誠実な作家で、それは藤村自身と彼の文章(小説)との距離というものを見ればわかる。藤村と小説とは距(へだた)りがあって、彼のわかりにくい文章というものはこの距離をごまかすための小手先の悪戦苦闘で魂の悪戦苦闘というものではない」。
「小林秀雄も教祖になった。・・・教祖は独創家、創作家ではないのである。教祖は本質的に鑑定人だ。・・・彼は天性の公式主義者であり、定石主義者であり、保守家であり、常識家であって・・・人間は何をやりだすかわからんから、文学があるのじゃないか。歴史の必然などという、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪えたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。だから小林はその魂の根本において、文学とは完全に縁が切れている。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である」。藤村も小林も、坂口にかかっては、けちょんけりょんです。
「私は(プレヴォの小説『マノン・レスコオ』のヒロイン)マノン・レスコオのような娼婦が好きだ。天性の娼婦が好きだ。彼女には家庭とか貞操という観念がない。それを守ることが美徳であり、それを破ることが罪悪だという観念がないのである。・・・私は結婚もしないうちから、家庭だの女房の暗さに絶望し、娼婦(マノンのような)の魅力を考え、なぜそれが悪徳なのか疑ぐらねばならないようなたちだった。その考えはいわゆる老成することなしに、ますます馬鹿げたふうに秩序をはみだす方へ傾いて行くばかりであった」。
若い時に読んだ本を、年齢を重ねてから読み直すことは、決して無駄ではないなと感じました。